高専実践事例集V
工藤圭章編
高等専門学校授業研究会
1998/12/20発行

   


  
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U高専の未来をみつめる

 

 ●[論説](295〜302P)

  二十一世紀の教育課題                  村上旦生   萩国際大学教授

     
   はじめに
 
   

 戦後五十年たった今、その間のわが国を支えてきたあらゆる制度が疲労し、人々は閉塞状況の中にいるといわれる。そして、この状況を打破するための改革を求める声が、強くなっている。しかし、一つの制度も、長い年月の間にはそれなりの安定性をうるものであり、それを廃止したり、変えたりすることは容易ではない。人々の間に改革内容の徹底性をめぐって激しい議論が展開されるのはそのためである。教育改革の場合もそうである。
 目下の教育改革は、中曽根内閣の下で1984(昭和59)年設置された臨時教育審議会に始まる。同審議会は、87(昭和62)年の第四次答申で「今後における教育改革」を推進する基本的考え方として、「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「変化への対応」の三点を提起した。それをうけて「新学力観」を打ち出した学習指導要領、小学校一・二年生の社会・理科にかわる「生活科」の設置、中学校での選択履修幅の拡大、高校社会科の「地理・歴史」「公民」への再編成などのことがよく知られている。同時にこの学習指導要領の改訂と連動する形で、新しいタイプの高校が生まれた。総合学科を持つ高校で94(平成6)年に国公立7校が誕生した。総合学科高校は、生徒が進路や興味に応じて自由に科目を選択できることが特色とされることから、人気が高く、各地に次々設置されている(平成十年度、全国で百五校)。
 「二十一世紀の我が国の教育」について、本格的に議論し審議しているのが中央教育審議会である。同審議会は、九五(平成七)年に文部大臣から、「二十一世紀を展望した我が国の教育の在り方について」諮問を受けた。その際@今後における教育の在り方及び学校・家庭・地域社会の役割と連携の在り方、A一人一人の能力・適性に応じた教育と学校間の接続の改善、B国際化・情報化・科学技術の発展等社会の変化に対応する教育の在り方、の三点が主要検討事項とされた。同審議会は@及びBの審議の成果を平成八年七月第一次答申、A及び一部Bについて、九年六月第二次答申としてまとめた。以下内容を二点にしぼり。今後の教育課題として検討してみる。

 

   「ゆとり」の中で「生きる力」をはぐくむ教育
   

 第一次答申の中心思想は、今後の教育の在り方として、「ゆとり」の中で、子どもたちに「生きる力」をはぐくんでいくことが基本である、としていることである。我が国は戦後、欧米諸国に追いつき追い越すべく懸命の努力を重ね、その結果世界有数の経済大国となり二十一世紀を迎えようとしている。しかし、その間地域社会の連帯感の希薄化、核家族化の進展による家族の有り様の変化、また経済生活の豊かさの反面精神生活の余裕のなさなどを経験してきた。答申は、今後も我が国の社会は「様々な面で変化が急速に進む」との考えである。すなわち、我が国の社会は国際化・情報化の進展、科学技術の発展のほかさらに、「地球環境問題・エネルギー問題など人類の生存を脅かす問題」、また「かつて経験したことのないような少子・高齢化社会」に直面していく。激しく変化する社会の中で、今後の教育はどうあるべきか。教育は、「時代を超えて変わらない価値のあるもの」(不易)を子どもたちに身につけさせると同時に、「時代の変化とともに変えていく必要のあるもの」(流行)に柔軟に対応することが求められる。とくにこれからの子どもたちに必要なのは、「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」つまり「生きる力」である。その「生きる力」をはぐくむためには子どもたちにはもちろん、学校・家庭・地域社会を含む社会全体に「ゆとり」が必要であるというのである。
 現在の子どもたちの生活の忙しさはよくいわれることであり、子どもたち自身、毎日忙しいと訴えている。忙しさの原因の一つに塾通いがあるといわれる。平成五年の文部省調査では、小学生の23.6%、中学生の59.5%が塾に通う。その比率は小学生でも中学生でも高学年ではもっと高くなるであろう。子どもたちは慢性的に疲労してストレスをためており、休養を求めている。現在の子どもたちが様々な体験活動をする機会や「主体的に活動したり、自分を見つめ、思索するといった時間」をもてないのは当然といえよう。こうした現状を改善し、「家庭や地域社会での生活時間の比重を増やし、子供たちが主体的に使える自分の時間」をもてるようにする必要がある。完全学校週五日制の導入の提言はそれを意図したものであるといえよう。 
 ここでわれわれは、従来の学校観・教育観からの脱却を迫られている。すなわち学校には子どもたちに知識を一方的に教え込むような教育から「子供たちが自ら学び、自ら考える教育」への転換が、また学校ですべての教育が完結するのでなく、生涯学習社会を見据えての「生涯学習の基礎的な資質の育成」を行うとの認識が求められ、家庭や地域社会は子どもの教育を学校や塾に委ねるのでなく、自ら教育力を持つ責任があるとされている。従って答申が学校教育に教育内容の徹底した厳選を求め、基礎・基本については確実に身につけさせるとともに一人一人の個性を生かした教育を行うように求めるのは、当然のことといわねばならない。
 中央教育審議会の求める教育内容の改善や我が国の将来の教育水準について精力的に検討を行っているのが教育課程審議会である。この審議会の「中間まとめ」が昨年十一月に発表されており、間もなく本答申がでる。完全学校週五日制の下で、小中高とも週当り二単位時間の削減や高校卒業必要習得単位数の大幅減を行うこと、中高では生徒の選択を重視した教育課程の編成ができるようにすること、各教科の内容を大胆に厳選すること、等々が打出されている。特に小中高での「総合的な学習の時間」の創設は注目すべき試みである。これは地域や学校の実態に応じ、各学校が創意工夫を凝らして実施する時間であるが、小中高とも児童・生徒による問題解決学習や体験重視の学習が、国際理解(例えば小学校での外国語に触れる学習はここで行われよう)・環境・福祉等の分野で展開されよう。児童・生徒が自ら課題を設定し、その解決に主体的に取り組まねばならぬ学習であり、彼らが「生きる力」を身につける場として期待される。中学校での外国語の必修化、高校での普通科目としての「情報」の設置も同趣旨に基づくものと思う。

 

   一人一人の能力・適性に応じた教育
   

 中央教育審議会第二次答申の検討に入ろう。これは「一人一人の能力・適性に応じた教育」をいかにして実現するかを主たる内容とする。答申はこれからの教育について、「ゆとり」の中で子どもたちの「生きる力」をはぐくむことを目指す上で、一人一人の能力・適性に応じた教育すなわち子どもたちが個性を見出し、自らにふさわしい生き方を選択していく「自分さがしの旅」を扶ける営みであるべきだという。答申は一人一人の個性の尊重とその伸長を図ることが教育改革の基本的考えであるとした上で、形式的な平等の重視という従来の教育に支配的であった発想からの転換を求めている。我が国の従来の平等重視教育は、高い高校・大学進学率、教育水準の高さなど量的、質的に大きな成果をあげてきたが、一人一人の能力・適性に応じた教育という面に配慮を欠いていたと反省し、これからは「子どもたちの個性・能力には違いがあり、興味・関心も異なっている」ことを踏まえ、子どもたちの「個性・能力を伸長し、評価するような教育の内容、方法、仕組み」を整え、「彼らに内在する可能性を存分に引き出していく」教育をすべきだという。
 個性・能力の違い、そのような差異を前提にして子どもたちを扱うことは、戦後の我が国では長い間嫌われる傾向にあった。苅谷剛彦氏(『大衆教育社会のゆくえ』中公新書)の指摘にもあるように、子どもたちを差異的に扱うことは「落ちこぼれ」や「非行」を生む原因である。とりわけ学業成績でのそれは「差別」であり避くべきである、また子どもに差別感を与えない教育が望ましい教育であるとか、子どもの能力は平等でありその差異も子どもの努力や頑張りで変わりうる、という認識が一般的であった。しかし1950年代前半頃までは、能力別指導は必ずしも差別選別の指導とは考えられていなかったと苅谷氏はいう。それは子どもの能力・個性をいかに伸長するかの観点から取り上げられ、「民主的教育」の重要な内容を構成していたのである。
 中教審第二次答申は臨教審の設置以降強調されるようになった「個性重視の原則」を教育改革の目標として明確に位置付けたともいえる。この原則はすでに、「新学力観」を打出した学習指導要領、中学校の進路指導での偏差値廃止、個性重視の高校入試改革、単位制高校・総合学科高校の誕生に生かされてきた。それは高等教育の分野にも及び、個性化・多様化を目指したカリキュラム改革が行われ、飛び入学が大学院だけでなく大学でも始まった。しかし答申は教育システム全体の中に「画一性」が今日なお存在しており、その是正に取組むことが急務であるとの認識の上に立っている。その急務なものの一つが、「学校間の接続の改善」である。具体的には子どもたちやその保護者が主体的に進路選択できるようにすべきであるとし、入学者選抜の改善、学校制度の複線化構造や柔軟化・強力化が重要だとしている。そして@大学・高等学校の入学者選抜の改善、A中高一貫教育、B教育上の例外措置、を提言している。「大学・高等学校、とりわけ特定の大学・高等学校をめぐる受験競争」が、高校以下の学校段階の教育活動をゆがめ、子どもたちから「ゆとり」を奪っていると批判されて久しい。答申は、生涯学習社会への移行がいわれる時代に、十八歳の時点でどの大学に入学したかで評価する風潮に疑問を呈し、ペーパーテストによる学力試験の成績偏重を止め、当該大学・学部の特性に応じた選抜方法の多様化や評価方法の多元化を求めている。高等学校入学者選抜についても同様で、学力試験の一点差刻みでの合否決定でなく「子どもたちの優れた面を積極的に評価する」方法を考えるべきとし、例として調査書の適切な活用や、子どもやその保護者の自己申告書を資料とすることをあげている。
 答申は、過度の受験競争の背景として学(校)歴偏重社会を指摘し、その是正のため学校・企業・親などの意識改革も求めている。確かにその是正なくしては、答申の目玉である「ゆとり」ある学校生活の中で様々な試行錯誤や体験を通して個性・創造性を伸ばすとする中高一貫教育、稀有な才能(当面は数学・物理に限るとしている)を有する者に例外措置として十八歳未満での大学入学試験の制度は成功しないであろう。
 「一人一人の能力・適性に応じた教育」の方向は理念として正しく、今後政策的にも実施されていこう。しかしその際、能力・適性が学力とだけ読みかえられてはならない。安嶋彌氏(「中学義務制の廃止も視野に」朝日新聞、平成十年四月十四日)がいう如く、かなり多くの中高生にとって学校の教育内容は高度で難しい。しかし彼らは或いは学力とは別の稀有な才能の持主かもしれない。その才能の伸長は保証されねばならない。

 

   おわりに
   

 教育課程審議会の最終答申が出され学習指導要領が改訂される。それに基づく教育が完全学校週五日制の下で2002年に始まる。二十一世紀教育の実質的開始である。
 人々の教育に対する関心は高く、目下の教育改革によせる期待も大きい。一方近年、教育上の負の事件が多発するため、教育のなお一層の抜本的改革が必要だと発言する人がある。しかし、その改革の内容が語られることはなく、かえって人心を困惑させることが少なくない。むしろ教育上の諸困難を一挙に解決する改革はありえぬというのが正しいであろう。中教審から出された諸提言を中心に議論が冷静に展開さるべきであろうというのが本稿の趣旨である。

 

   
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