高専実践事例集V
工藤圭章編
高等専門学校授業研究会
1998/12/20発行

   


  
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  4. 教科教育への提言

 

 ●国語の授業がつまらないのはなぜか(194〜209P)

  国語教育の現状とその問題点     吉原英夫   北海道教育大学教授

     
     
   

 平成6年に現在の職場(北海道教育大)に転出してから、教育系大学ということもあって、小学校と中学校の国語の授業をずいぶんたくさん見せていただきました。また、自分でも小学校と中学校の国語教育関係の文献に少しは目を通すようになりました。そうしたことをふまえて、小学校と中学校の国語教育の現状とその問題点について述べてみたいと思います。話を具体的にするために、小学校と中学校の説明文教材を取りあげ、その取り扱いについて考えてみます。

 

   小学校の教材
   

  まず小学校五年の説明文教材を取りあげます。『国語5上』(教育出版、平成7年版)に、倉嶋厚「日本の夏、ヨーロッパの夏」という説明文教材が掲載されています。『教師用指導書』には、「教科書のための書きおろし」とあります。、この教材については、多くの問題点を指摘できますが、ここでは紙幅の関係で、次の「1」だけを取りあげます。

 

  夏のある日、わたしたちが日本の国際空港を飛行機で飛び立つと、十数時間後には、やはり夏のヨーロッパに着くことができます。〈以下省略〉(第一段落)

  同じ北半球にあっても、日本とヨーロッパとでは、夏の暑さがかなりちがいます。いったい、どのように暑さがちがうのでしょうか。東京とイギリスのロンドンを例にとって、調べてみましょう。(第二段落)

  まず、月々の平均気温から比べてみましょう。上の図(省略。引用者注)は、東京・パリ・ロンドン・グアムの1年の平均気温を表したものです。この図でわかるように、ロンドンの7月・8月の気温は、東京の5月や10月の気持ちのよい季節の気温とほぼ同じです。フランスのパリ、ドイツのベルリンなどの真夏の気温も、だいたいこれと同じです。これに対して、東京の7月・8月の平均気温は、ロンドンより10度近く高く、むしろ南洋のグアム島の気温に近いのです。(第三段落)

  次に、東京とロンドンの、夏の平均雨量を比べてみましょう。東京の6、7、8月の3か月間の平均雨量は459ミリメートルで、ロンドンの157ミリメートルの約3倍にもなります。東京とロンドンだけではなく、日本各地とヨーロッパ各地を比べてみても、かなりのちがいがあります。このことは、夏の日本では、ヨーロッパに比べて、空気の中に水蒸気がたくさんふくまれていることを示しています。(第四段落)

  この二つの比較から、日本の夏は、確かにむし暑いということがいえます。それに対して、ヨーロッパの夏は、気温はあまり高くなく、空気もかわいていて、大変さわやかだといえましょう。(第五段落)

この文章は、五段落から構成されています。第一段落は書き出しです。第二段落で問題を提起し、第三段落で東京とロンドン・パリ・ベルリンの7月・8月の平均気温を比較し、第四段落で東京とロンドンの夏の平均雨量を比較しています。そして、第五段落で、その二つの比較を論拠として、日本の夏はむし署く、それに対して、ヨーロッパの夏は大変さわやかである、という結論を導き出しています。

 

   「日本の夏、ヨーロッパの夏」の問題点
   

 右の文章の第三段落と第四段落に記されていることを論拠として、第五段落のような結論を導くことに問題はないでしょうか。

 阿部昇氏は『「説明的文章教材」の徹底批判』(明治図書、1996年2月)において、「ロンドン・パリというそれほど緯度の違わない2都市だけに、『ヨーロッパ』を代表させてしまうというのは、問題であろう」と指摘しています。

 この阿部氏の指摘は、もっともなものです。まずここに、この教材の大きな問題があります。続いて阿部氏は、

 これに対して、東京を日本の気温の代表としたことには、そう大きな問題はなさそうである。特に夏の最高気温などについては、1961年〜1990年の気温の平均値を見ても、たとえば新潟から鹿児鳥まで、そう大きな温度差はない。せいぜい1.7度の差である。と述べています。

 しかし、「東京を日本の気温の代表としたことには、そう大きな問題はなさそうである」というのは、どうでしょうか。

 国立天文台編『理科年表平成9年』(丸善、1997年11月)の「月別平年気温」によれば、東京の7月の平均気温は25.2度、8月の平均気温は27.1度ですが、札幌の7月は20.2度、8月は21.7度です。東京と札幌との差は「せいぜい1.7度の差」という程度のものではありません。 教材の筆者である倉嶋厚氏も、『人生天気図曇りのち晴れ』(桐原害店、1987年11月)において、

 日本でヨーロッパのサマーに似た季節感を求めるとすれば、平地ならば北海道です。札幌の8月の平均気温は21.3度、旭川は20.4度で、ヨーロッパの各都市の気温に近くなります。

 数年前に2年間ほど札幌気象台に勤めていたことがあります。ポプラ並木が夕風に揺れる札幌の街には、たしかにサマーがありました。と述べています。

 このように札幌の夏を熟知している倉嶋氏は、『教師用指導書』の「作者の言葉」で、この教材の取り扱いについて、次のように注意を喚起しています。

 本文では東京の気候で日本の気候を代表させてある。しかし、同じ日本でも地域により気候に大きい差があり、それが各地方の産業や生活様式、あるいは県民性の違いとして現れている。そのことについても、実際に即して、生徒とともに考えていただきたい。

 特に北海道の夏や本州の高原の夏の気候はヨーロッパの夏によく似ている。そこでは、熱帯なみに蒸し暑い夏を持つ日本の他の地域に比べて、人々の暮らし方にどのような違いがあるかを指摘してほしい。 筆者の倉嶋氏自身、東京の気候で日本の気候を代表させることに問題があることを認めているのです。

 

   「日本の夏、ヨーロッパの夏」の取り扱い
   

 この教材はどのように取り扱われているのでしょうか。 市毛勝雄氏の『説明文教材の授業改革論』(明治図書、1997年8月)を見てみます。

 市毛氏は、範読、音読練習、一斉音読、形式段落に段落番号をつける、形式段落を意味段落にまとめる、ということを行ったあと、意味段落からキーワードを取り出すという授業を提唱しています。次の( )内を児童に考えさせるのです。

 はじめ (土地によって暑さがちがう) 一段落・二段落
 具体例1(東京とロンドンの夏の気温の比較) 三段落
 具体例2(東京とロンドンの夏の雨量の比較) 四段落
 考察 (日本は暑く、ョーロッパはさわやか) 五段落

 その後、「二つの〈具体例〉が考察に正しく結びついているか」という課題を提示して児童に話し合わせ、「5、6分ほどたったところで全員に向かって、『では聞くが、正しく結びついていると思う人は手をあげて』と言う。全員手をあげたのを確認して、次に進む」と述べています。市毛氏の提唱する説明文の取り扱いでは、この教材の問題点を検討する方向での指導は行われません。市毛氏は、「教室では、その文章が科学的な構成によって組み立てられ、書かれていることを確認するのが仕事なのである」と考えているからです。

 この教材に関する文献としては、次のものがあります。

○相原貴史「日本の夏、ヨーロッパの夏」(『国語教材研究大事典』明治図書、1992年)
○野口芳宏「説明文の読解指導における発問」(「教育科学国語教育」462号、1992年7月)
○吉田憲一「日本の夏、ヨーロッパの夏」(「教育科学国語教育」465号、1992年9月)
○西郷竹彦「日本の夏、ヨーロッパの夏」(『教科書指導ハンドブック新訂小学5年の国語』明治図書、1996年4月)
○中村龍一「学校図書館を学習情報センターとして活用する」(田近洵一編『説明文の授業』国土社、1996年12月)
○岩井信康「『日本の夏、ヨーロッパの夏』の『要旨』の読み取り」(「教育科学国語教育」561号、1998年7月)

 これだけの文献がありながら、すでに引用した阿部氏以外には、この教材の問題点についてふれたものはありません。

 

   中学校の教材
   

 次に中学校2年の説明文教材を取り上げてみます。『中学校国語2』(光村図書、平成5年版)に、角山栄「シンデレラの時計」という説明文教材が掲載されています。

 この教材は、シンデレラの話を枕にして、前半ではシンデレラが聞いた時計はどんな時計であったかを扱い、後半では「シンデレラ」という時間の約束をテーマとした話が生まれた社会はどういう社会であったかを問題にしています。 『中学校国語学習指導書2下』(光村図書、1993年)には、シンデレラが聞いた時計はどんな時計であったかという「一つめの疑問解明の経週」が、次のようにまとめられています。
 @17世紀以前の機械時計の歴史の中にあるだろう。
 A機械時計の歴史をたどる。一公共用時計
 Bそれら当時の公共用時計が、15分ごとに鳴っていたかどうかわからない。
 C15分ごとに鳴る時計は他になかったか。
 D機械時計の歴史をたどる。一室内用置き時間
 E文献や博物館で調べたが、鐘の打ち方はわからなかった。
 F16、17世紀に作られた多くの置き時計が、15分ごとに鳴っていたと明記された資料を入手した。

 角山氏は以上のことから、「シンデレラが聞いた時報も、おそらく王宮内の置き時計のものであったにちがいない」と結んでいます。

 

     「シンデレラの時計」の問題点
   

 「シンデレラの時計」の疑問解明の過程に問題はないでしょうか。教科書のB段落には、次のように記されています。

 とすると、シンデレラが聞いた鐘は、このような公共用時計の鐘だったのだろうか。確かに、大きな鐘の音であれば、舞踏会の宮廷まで聞こえたであろう。しかし、それは15分ごとに鳴っていたかどうかよくわからない。もしそうであれば、話は簡単である。が、もし1時間ごとに時を告げていたのであれば、それを聞いて駆けだしたのでは間に合わない。ここでは公共用時計が「15分ごとに鳴っていたかどうかよくわからない」と言っています。すなわち公共用時計であった可能性については保留しているのです。それなのに次のC段落では、「それならば、15分ごとに鐘が鳴っていた時計はほかになかったのであろうか」と話を転じ、F段落では「シンデレラが聞いた時報も、おそらく王宮内の置き時計のものであったにちがいない」と結んでいます。B段落で保留した公共用時計はいったいどうなったのでしょうか。公共用時計の可能性を否定していない以上、F段落の「シンデレラが聞いた時報も、おそらく王宮内の置き時計のものであったにちがいない」という結論を導くことはできないはずです。それでは、どうしてこのような文章になってしまったのでしょうか。「シンデレラの時計」の「出典」の項を見ますと、「本書のための書きおろし」とありますが、実は角山氏には『時計の社会史』(中公新書、1984年1月)という著書があり、この教材はそれに手を入れたものです。大幅に手を入れているので、「書きおろし」としたのではないかと思います。『時計の社会史』では教科書のB段落に該当する箇所は、次のようになっています。

 それならシンデレラがきいた時報の鐘は、町の公共時計のそれであったのだろうか。確かに大きな鐘の音であれば、舞踏会の宮廷まできこえたであろう。しかし私はシンデレラがきいた鐘は公共時計のそれではなかったのではないかと思う。というのは、シンデレラが第1日目にきいた11時45分を告げる鐘にこだわるからである。いまかりに、公共時計が普及しはじめた15世紀ないし16世紀の時代がシンデレラの舞台になっているとすれば、公共時計の鐘は、時間の正確さを別にすれば、ふつう1時間ごとに鳴っていたのであって、彼女がきいたという11時45分の鐘を公共時計に求めることには疑問が残るからである。ここでは、公共時計は「ふつう1時間ごとに鳴っていた」と明確に述べており、それならばシンデレラが聞いた「11時45分」という半端な時を告げるのは、公共時計であった可能性は少ないということになります。角山氏はこの文章を書いた時は、公共時計は「ふつう1時間ごとに鳴っていた」と考えていたわけですが、その後、「ふつう1時間ごとに鳴っていた」とはいえない一一15分ごとに鳴る公共時計がかなりある−‐ことを知り、そこで教科書のような曖昧な文章に書き換えたと推測できます。

 さらに、角山氏には『シンデレラの時計』(ポプラ社教養文庫、1992年4月)という著書があり、そこでは次のように記しています。 公共用の時計は、1時、2時、3時……といった正時がくれば、鐘が鳴って市民に時刻を知らせるようになっていたことは、いまもむかしもかわりません。しかし15分、30分、45分といった15分ごとに鐘が鳴っていたかどうか、ということになれば、すべての時計が15分ごとに鳴っていたということはできません。たしかに15分ごとに鳴っていた公共時計がありました。しかしそれがシンデレラのお城のそばにあったのかどうか、おとぎ話の場所がはっきりわからない以上、なんともいえません。仮にお城のそばの時計が、15分ごとに鳴っていたにしても、それが15分なのかご20分なのか、45分なのか、鐘の音だけではなく眼でたしかめないと安心できません。

 ここでは、15分ごとに鳴っていた公共時計の存在を認めています。その存在を認めると、シンデレラが聞いたのは、公共時計とも室内用置き時計とも考えられるので、「眼でたしかめないと安心できません」という条件を新たに設定して、室内用置き時計へと話をすすめています。

 角山氏は、はじめは公共用時計はふつうは1時間ごとに鳴ると信じていたのですが、後に15分ごとに鳴るものもかなりあることを知り、そこで時計の針を見るという条件を考え出したのでしょう。教科書の文章は、時計の針を見るという条件を考え出す前の段階で執筆されたと考えられます。アラン・ダンダス編『シンデレラ』(紀伊国屋書店、1991年2月)によれば、シンデレラの話はいろいろ伝えられていますが、ヨーロッパで最もよく知られているものは、イタリアのバジーレ、フランスのペロー、ドイツのグリム兄弟のものであるということです。角山氏の場合、教科書に「『シンデレラ』は、フランスの作家シャルル・ペローが民話から取材した童話の一つである」とあるように、ペローのものに依拠しています。ペローのシンデレラの話は『完訳ペロー童話集』(岩波文庫、1982年7月)に「サンドリヨンまたは小さなガラスの靴」という題名で収められており、角山氏もこの訳書を使用しています。その時間に関する部分を抜き出してみます。こうして身仕度ができると、サンドリヨンは馬車に乗りこみましたが、名付け親は、とりわけ真夜中を過ぎてはいけないと忠告し、もしそれよりも少しでもよけいに舞踏会に残ったりすれば、馬車はまたもとのかぼちゃに、馬は二十日ねずみに、従僕はとかげにもどり、着ているものももとの古い服に逆もどりする、との注意をあたえました。……

 王子は、サンドリヨンをいちばん晴れがましい席に案内し、それからダンスに誘いました。サンドリヨンがとても優雅に踊るので、人びとはますます感心して見とれます。……

 こうしておしやべりをしているうちに、11時45分の時を打つ音がきこえてきました。サンドリヨンはすぐ一同にていねいなお辞儀をして、できるだけ急いで出て行きました。……

 翌日、姉たちは舞踏会に出かけ、また、サンドリヨンもそうしましたが、最初の時よりもっと着飾っていました。王子はサンドリヨンのそばにつききりで、愛の言葉をささやくのを止めません。この若い貴婦人はすこしも退屈しなかったので、名付け親の忠告を忘れてしまいました。そのため、まだ11時になってもいないと思っているときに、12時を打つ最初の音がきこえてきました。サンドリヨンは立ち上がると、まるで牝鹿のような身軽さで逃げ出します。王子は後を追いますが、間に合いません。サンドリヨンがガラスの靴の片方を落としていったので、王子はそれを大事に拾いあげました。馬車もなければ、従僕もいなく、みすぼらしい服で、サンドリヨンは息を切らして家に帰り着きました。

 ここから確実にいえることは、15分ごとに時刻を告げるものがあったということだけであって、民話に取材したこの話から、シンデレラが聞いたのは公共用時計であったか室内用置き時計であったかということを決定するのは無理なのです。角山氏の「シンデレラの時計」は、解明しがたい問題を提起したところに根本的な問題があったといえます。

 

     「シンデレラの時計」の取り扱い
   

 この「シンデレラの時計」については、私の知る限りでは、次の文献があります。

 ○松岡好弘他「シンデレラの時計」(福井実践国語の会編『ことばの力がつく説明文授業の創造』明治図書、1993年4月)
 ○江口恵子「内容課題と言語課題を統合する学習課題を」(「実践国語研究」153号、1995年11月)
 ○秋山聡「『シンデレラの時計』『鏡を考える』」(竹長吉正編『説明文の基本読み・対話読み3中学校編』明治図書、1996年10月)
 ○沢田紀之「事柄を多層的に見る力を養う」(「教青科学国語教育」543号、1997年6月)
 ○竹長吉正「情報活用による思考力の育成」(「教育科学国語教育」555号、1998年3月)

 ここでは取り扱いについて具体的に紹介しませんが、この教材について、松岡氏他は「検証的に論理を展開し」と言い、江口氏は「論の展開の仕方は、大変論理的である」と評価し、秋山氏は「課題を示し、それを順序よく解明していく」と述べており、この教材の論理の破綻についてはだれもふれていません。しかし、このような教材は、論理の破綻を指摘できなければ読みとれたということにはならないはずです。

 

     国語教育の問題点
   

 小学校4年の説明文教材である「日本の夏、ヨーロッパの夏」と中学校2年の説明文教材である「シンデレラの時計」を取りあげ、ともに論理に問題があること、それを検討する方向での取り扱いがほとんどないことを指摘しました。

 こうしてみますと、日本の国語教育は、「国語教育に於いては、読本の教材は児童・生徒に取つては模範的名文であることが前提とされてゐるが故に、これに対する内在的批評は、名文の名文たる所以を明かにするといふ形式で行はれるのが原則である」(石山脩平『教育的解釈学』賢文館、1935年3月)という、国定教科書を絶対視する戦前の考え方から、今に至るも抜け出ることができないでいると言わざるをえません。

 このような考え方にしばられた授業では、児童・生徒は一方的に教材を受け取ることを強要されます。そのような授業は、児童・生徒にとっておもしろいはずがありません。

 吉岡忍氏は、次のように指摘しています。現在の教育がぶつかっているのは、教科学習の問題なのだと私は思います。学校は4割の子供たちを取りこぼしているというのも、各教科が全然面白くないからです。子供たちの日常的な経験や感覚から遊離し、学ぶことの動機形成にまったく役立っていないからです。「4割の子供が棄てられている」(「AERA」1998年6月8日号)

 心の教育の必要性が叫ばれるような状況を作り出した最大の原因は、一方に、どころか学校のまんなかに、頑として存在する教科教育にあるのではないか。その一方通行性、退屈さ、窮屈さ、無味乾燥、硬直性にある。「教育を教育で救うために」(「AERA」1998年7月20日号)

 すでに紹介した2つの教材についての取り扱いを読んでいただければ、この指摘は納得できるのではないでしょうか。

 それでは、こうした状況から脱出するには、どうすればよいのでしょうか。このことについては稿を改めて論じなければなりませんが、たとえば、鈴木邦彦先生(沼津高専)の「太宰治発見!」(工藤主章編『こんな授業を待っていた』高等専門学校教育改善プロジェクト、1994年3月)は、教科書絶対視の呪縛から抜け出た、優れた実践報告であることを指摘して、ひとまず結びといたします。

   
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