高専実践事例集V
工藤圭章編
高等専門学校授業研究会
1998/12/20発行

   


  
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 ●3年連続日本一(152〜168P)

  夢をかたちに−−−プロコン奮戦記     堀内征治 長野工業高等専門学校教授

     
 

 望まれる創造性

 
   

 「ロボカップ」という大会をご存知だろうか。最先端技術を集結して開発されたロボットによってサッカーの世界一を競うというもので、全世界を熱狂させたワールドカップ同様平成10年の7月、フランスのパリで行われた。いわゆる自立型のロボット同士が、人間の指示を一切受けずにサッカーボールを追い、パスをし、ゴールを狙うというもので、世界から80チーム以上の研究者が集まった。情報技術の進歩は著しく、チェスでコンピュータが世界チャンピオンを負かしてしまった話も記憶に新しい。しかし、相互に意志を伝えあい連携していくサッカーロボットとなると、まだまだ黎明期という印象が強い。見かけは、どちらかといえばおもちやのロボットを苦心して動かしているというのが現状といえる。だが、世界の科学者はこの「ロボカップ」に真剣に取り組み、技術を高めるために不断の努力を惜しまない。なんと、この「ロボカップ」の夢は、人間のサッカーワールドカップの優勝チームと戦って勝つことなのだそうだ。なんと、だいそれた夢だろうか。  ところで、今の時代に望ましい人間像としては、「優れた国際性」「豊かな個性」そして「たくましい創造性」が大切だといわれる。国際化は急激なテンポで進んでいる。情報にしても、物流にしても、我々は世界各国のボーダーをもうほとんど感じなくなった。私も日ごろ学生諸君に「君たちは卒業した途端に国際人としての行動が求められる時代なのだ」と力説している。日本人という感覚よりも地球人という方が自然な世界が、若者には否応なく訪れている。そして、そのような世界では個性が尊重される。どちらかといえば個を殺してきた日本文化が転換を迫られているわけだが、若い人たちはすでにこの「個を主張」するという波に乗っている。ただ、まだ熟成しておらずファッションにしても行動にしても、その主張に幼さが出てしまっているのが残念である。しかし、この課題は時間が解決してくれるだろうと私は思っている。

 3つめの「創造性」が問題である。これからの時代、独創的な発想がなければ伸びることができないのは明白である。だが、これは時流に身を任せていて解決できることではない。重要なことは「創造的な環境」をいかに構築するかということなのだが、このために何をすべきか混沌としているのが実状のような気がする。  私は、「たくましい創造性」に必要なことは、「夢を描くこと」と「それを実現するための基本技術の育成」だと思っている。 現代社会では生活は目にみえて豊かになった。それゆえ身近な欲求は簡単にかなえられるようにもなった。そのような事情もあるのだろうか、自分が人として生きていく上での大きな目標を描き切れない場合も多い気がする。一方で、夢を描こうとしても、現実との大きな狭間が先に見えてしまうことによって阻害されてしまうこともあろう。にもかかわらず、私は「夢を描き、それをかたちにする」ことにこだわりたい。とくに、若い人々の大きなエネルギーが、このことを可能にすることを私は知っている。而して、私は「夢をかたちに」というスローガンを大いに推奨したいのである。  私が身を置く教育現場でも、「創造性教育」の必要性が強く叫ばれている。なかなか成果が見えにくい、そして時間のかかる教育だけに難しい対象である。私自身も10年ほど前から、全国の有志とこの課題に挑戦してきた。その一つが、全国高専プログラミングコンテストである。

 

   全国高専プログラミングコンテストの発想
   

  高専が比較的小規模な高等教育機関であったことや、ほとんどが工業系の高専であるという事情などもあって、高専での情報処理教育は平均的に見て早い時期から、熱心に取り組まれてきた。また、情報処理担当教官の情報交換や教官同士の交流も活発で、初期の段階では足並みをそろえる形で協力し、また最近では各高専の独自性を強調しながらも、課題を共有化しながらユニークなシステム構築や、独特な教育体系を競ってきている。

  高専情報処理教育を盛り立ててきたのは、もちろん情報処理教育を担当する各校の教職員である。そして、その背景には、それらの人々の研修を効果的に、またタイムリーに企画してきた文部省施策が効果的であった。しかし、高専の情報処理教育を語るときに「高専情報処理教育研究委員会(以下、専情委という)」の存在を忘れるわけにはいかないだろう。この研究委員会は昭和56年に生まれた。各高専の情報処理教育担当の代表者が結集して組織したもので、研究発表会や論文集の発行などを主要事業にしながら、様々な角度からのアンケート調査や、承合事項のまとめを通して、上記情報処理教育の最新のノウハウの情報流通を図ってきたわけである。

  専情委というこの組織は、良き伝統によって教員相互のパイプ役を果たすという、いわば古い力ラーを維持しながら、かたや斬新なアイディアで、新しい情報処理教育を模索してきた。その一つがここでのテーマの「創造性を育成するための情報処理教育の在り方」である。そして、この企画が「高専を面白くした」ひとつの要因であった。

 しかし、この創造性教育というのは言うにやさしく行うに難い。私自身も創造性を高めるために通常の情報関連の授業の中でいくつかの試行を繰り返してきた。現在ではある水準までの目標には到達してきていると思われるが、授業では時間が限られるという物理的制約のために、発想力を完成度の高い状況までに引き上げることはなかなか難しいというのも事実である。

  そのような中でNHKの主導によるロボットコンテストが創造性育成に効果をあげ、発想豊かな高専学生の姿が浮き彫りにされてきた。私は、このコンテストにヒントを得て、情報処理教育の中で高専教官が主導する創造性育成の教育環境を実現したいと願い、全国高専プログラミングコンテスト(以下「プロコン」)を提唱したのである。時は平成元年の8月、苦小牧で開催された第28回専情委(当時は委員会を協議会と称していた)の常任委員会の席上であった。この年常任委員になったばかりの私は、「高専を世の中にアピールするために本委員会が採りうる施策は?」というテーマにあわせ、独創性教育の重要性と、それが情報処理教育の中で可能なことを熱を帯びて語った。全国高専プログラミングコンテスト実施の提案である。が、会議のムードは必ずしも好意的なものではなく、未知なるものに対する不可解さから理解は得られなかった。消極的な他の委員意見の開陳を、時間との経過の中で耳にしながら、「まだ、時期尚早か」とあきらめかけたとき、若手の委員が発言にたってくれた。「創造的なことを興そうとしているのだ。ともかくプランだけでも練って可能性を探ることにしようではないか」と。この発言を契機に、反故になりかけた提案に光があたりはじめた。他の若手委員の賛同意見は追い風をよび、委員会は準備検討会の設置を決議したのである。そして、この検討会の4名のメンバーがプロコン創設の核になるのである。

 

   プロコン実現へ向けて
   

 幸いなことに、この動きと平行して、国立高等専門学校協会でも「高専アピール」が、話題の一つになってきていた。当時の協会事務局長は、プロコン準備検討会の存在を耳にされ、早速私のところを訪れてくださった。そして、協会としての積極的な支援を表明されたのである。あわせて、私は後にプロコン事務局を引き受けていただくことになる某システム設計事務所の社長とともに、協賛してくださる企業の折衝を開始し、順調に支援の輪を広めていくことができた。新しい息吹は、次第にプロコン誕生に向けて具体性を帯びていくことになる。

 第29回専情委常任委員会は平成2年3月に東京で開催され、準備検討委員会から懸案の第1回プロコン開催を目標とする実施要領が提出された。ここでは、高専学生の独創性の醸成、情報処理能力の高揚、高専の存在そのもののアピール、学生同士の全国レベルでの交流、高専と情報産業界との交流などが、基本的な方針として盛り込まれた。ひとことでいえば「ソフトウェアの甲子園」の実現である。苫小牧では暗闇に差し込んだ一条の光ほどであったが、東京でのこの会においては、プロコンという新しい存在が、立つべきステージを獲得し、そこに煌煌としたスポットライトがあてられ始めたのである。

 

   プログラミングコンテストの概要
   

 専情委常任委員会での基本方針のもとに設立されたプロコン実行委員会は、精力的に企画運営をすすめた。前述のように、プロコンの主たる目的は、学生の豊かな創造性の育成にあるがもちろん、プログラミングをはじめ、システム設計の多岐にわたった教育の実践の場である。とすれば、発想力をいかに完成度の高いものに導いていくかの技術力の高揚を図ることが肝要である。また、システムが社会に受け入れられるもの、いわば有用性といった観点でも学生を教育したい。このようなことから予選本選方式、部門の複数制などが検討され、最終的には、手近なパーソナルコンピュータやワークステーションなどで実行可能なソフトウェアを作成させ、独創性や有用性、構築能力や表現能力などを予選、本選の二段階で評価することにしたのである。アイディア重視の立場から、システム構成や記述言語などは自由とした。

 このコンテストでは上述のように、プレゼンテーションの大切さを教育することも重要な柱とした。すなわち、「優れた技術者としては、自分の手がけたシステムを、広く社会に理解させる能力も必要である」という思想から、限られた紙面でのシステムの概要表現能力、予選審査のためのビデオによる表現能力、学会形式による口頭発表による表現能力、開発したシステムを実演しながらの自己アピール能力、適正なマニュアルの作成能力などをも、審査基準のひとつとしたのである。高専生のともすれば弱いとされていた部分の教育であった(ただ、この表現能力は年々向上してきており、最近のコンテストからはかつての高専の弱点は微塵も感じられない)。これらをプロコンのねらいに加えた点は、本コンテストの待色として、後に高く評価された。

 このような準備を経て、第1回大会は平成2年に実施された。部門は課題、自由の2部門である(第6回からは競技部門を加え、現在は3部門となっている)。

 初回の実施にあたっての不安な点のひとつは応募点数の問題であったが、予想を越える数多くの応募がスタッフをほっとさせた。予選では、これらの応募の中から、本選にすすむ約20テーマの選定を、提出されたシステム説明用書類、プログラミングリスト、操作マニュアル、ビデオの審査を通して行った(第5回からはアイディアを重視する面から応募時には必ずしもシステムが完成していなくても良いとした。ただし、ビデオによるアイディアのアピールは義務づけた)。こうして選出されたテーマは、京都国際会議場を舞台とする本選へと歩を進めた。そこでの学生達は、前述のプレゼンテーション、デモンストレーションでの発表を通して審査されるほか、専門のシステムエンジニアによるマニュアル記述の適正度のチェックも受けることになる。

 審査にあたっては、大学、情報産業界、マスコミ各界の代表約十数名に厳正な審査をお願いした。また、審査員を代表して、参加学生を前に例年情報処理に関するミニレクチャーも企画した。これも学生にとっては、まさしく生きた学習が受けられる場であり、好評を博した。

 このようにして、第1回のプロコンが開催されたが、出展された学生の作品は期待にたがわず、独創性にあふれた魅力的なものばかりであった。はじめての全国高専プログラミングコンテストは予想以上に大きな成果を収める結果となったのである。

 そして、プロコンは年毎に内容が充実し、今年度(平成10年度)は第9回として、これまでの最大規模で本選を迎えることになった。

 

   プロコンへの暖かい支援
   

 このコンテストについての高専内外での評価は年々高まりを見せた。一つの現れとして、平成5年度からは各部門の最優秀作品に文部大臣賞が授与されることになった。これは高専教育の延長線上にあるコンテストであることを考えると、特筆に値する事項であろう。また、文部省の主催する生涯学習フェスティバルの一環として位置づけた点も、特色のひとつとして挙げられる。情報処理教育を生涯学習という範疇に含むことは、時代とともに許容されてくると信じてのタイアップであったが、果たせるかな、現在は児童から中高年まで幅広い学習の対象となってしまった。文部省生涯学習局からは、プロコンが生涯学習フェスティバルに貢献したということから、連合会に対してすでに3回の感謝状授与がなされている。大変光栄なことであるとともに、今後も生涯学習としての情報処理教育をさらに密接に捉えていただくことを望む次第である。

  さらに、このコンテストには産業界からの代表者がかなり訪れて、高専との大きな交流の場となっている。ことに、学生の熱意と能力を理解して下さる情報産業界の方々が増すことは、今後の高専の方向をも明るくするものと思われる。また、当初はこれらの方々のほとんどは技術部門の担当者であったが、近年は経営トップ陣や人事関係の方々の参加が増加している。高専学生の実力を分析し、能力のある学生をぜひ当企業へという、いわばスカウト的な要素も少し見えている感もある。行き過ぎた行動はもちろん問題であるが、今までになかった人事戦略が垣間見られることは、少し「ソフトウェアの甲子園」としての位置づけがこのプロコンに備わってきたのではないか、などとも思ったりしている。

 過去の大会での上位入賞作品は、いずれも独創性にあふれた内容であるとともに、有用性や完成度でも優れたものである。これらの作品が審査員や高専関係者だけでなく、情報産業界において評価されている点が見逃せない。また、応募作品中には、各種マスコミの広い報道網にのるもの、雑誌で紹介されるもの、商品化への誘いがあるものなど、当初の目的以上の成果をもたらすものも少なくない。さらに、毎年のように、留学生の活躍がめだつなど、これも明るい話題といえる。

 

     独創性育成教育の実践
   

 これまでに、プロコンのコンセプトや成果などについて運営の立場からその魅力を述べてきたが、実は、私はこのコンテストに参加する学生の指導教官として、九年にわたって学生と苦楽を共にしてきた。表1(次ぺージ)にはプロコンがはじまって以来、私が指導した学生のテーマの一覧を示した。ここで、◎印は予選を通過して本選に推薦されたものである。本選に進めるわずか20テーマそこそこの中に毎年選ばれているのが何よりもうれしい。本選でも上位に評価されている点は幸運であるが3年連続最優秀賞(文部大臣賞)が受賞できたことは、ことに感激である。

 これらの最優秀賞を得た長野高専(以下「本校」)の学生の作品概要を簡単に述べておこう。

 このところ本校は課題部門での健闘が目立っている。その課題部門の平成七年度は「打ち上げ花火のシミュレータ」を作成した。このシステムは、画面の中で花火を作り、これを打ち上げて鑑賞できるソフトウェアで、火薬と化学物質の量、種類を設定してコンピュータに入力すると、色や模様の違う独自の花火が画面上にシミュレートされるものである。また、風向きや空気抵抗を考慮してシミュレートでき、通常の観客の視点のほかに、花火職人の位置からの視点や、花火の上空の視点などからの状態もリアルに表現できるものである。実際に新作花火を作る前や、スターマインなどのスケジュールを設計する際に応用できる他、当日の風雨などの気象状態にあわせたシミュレーションが可能なソフトウェアである。物理的な計算を高速に処理する技術を獲得した点で、実現可能になったといえる。

 翌年の受賞作品は「魅せます!メイクさん」と名づけた化粧シミュレータで、色合いや質感などのデータを登録した百種以上の化粧品をデータベースに貯え、ビデオカメラで写した顔に画面上から化粧できるシステムである。この化粧は画面上で簡単に塗り替えられるので、様々な種類の化粧品を手軽に試すことができる上、光の加減で化粧の見えかたが変ることにも配慮し、出かける前の化粧が、たとえばパーティー会場でどのように見えるかがシミュレートできるような付加価値を有している。このシステムでは光の反射をどれだけ忠実に表現できるかが課題であったが、物理的な洞察が、よく解決の方向を示すことができた。

 第8回大会で最優秀を頂戴した「ふめくり☆ふめくら」は楽譜の自動表示システムである。楽器を演奏する人なら誰でも不便に感じる楽譜めくりを、演奏にあわせて自動的に行おうとするもので、技術的にかなり難易度の高いシステムヘの挑戦であった。これには、スキャナで読み取った楽譜データを自動的に認識して、音の高さに相当するコードに変換し、コンピュータ内に蓄積するためのソフトウェアが必要である。一方、演奏者側で発せられたアナログ的な音の信号は、マイクから取り込まれ、自作の音高変換回路によって電子データに変換される。このシーケンシャルなデータと、先の蓄積されたデータとのマッチングをリアルタイムに行い、現在演奏している部分を常に認識しながら、譜面台上の薄型液晶ディスプレイに該当部分の譜面を表示するのである。このシステムの特色は、楽譜の自動認識と、楽器から発せられた音の高速変換、それにどうマッチングしていくかの判定アルゴリズムといえる。ソフトウェアはできてしまうとその苦労が分かりにくくなってしまうわけだが、そのシステムはその典型のように思える。しかし、この背後にあるプログラミングやシステム設計の妙を評価していただいたのは、大変ありがたかった。

 これらの作品は、苦労が実って陽の目を見た作品であるが、これらの作品に劣らず思い出のあるのが、「ペン入カパソコンによる電子式野球スコアブック」である。これは、ペンコンピュータの画面に野球上のダイヤモンドが描かれており、投球や打球の動きを、ゲーム展開に沿ってペンでなぞっていけば、従来のスコアブックが自動的に作成され、あわせて種々の統計データが得られるというものである。このシステムはアイディアの上からも、ソフトウェアの完成度の上からもかなりの自信作であったが、結果はあえなく3位になってしまった。また、別の年のシステムで、指揮棒の動きにあわせて、大きくあるいは小さく、また早くそして遅く演奏する「カラヤンくん」なるものも、特異な発想とリアルタイム性を追求した技術面で評価されたものの2位に終わったときもあった。そして、そうした時にはいつも舞鶴高専が最優秀賞に輝いていたのである。舞鶴と長野という、良い意味でのライバルが出現したことにより、この両校はもとより、他の高専のレベルもどんどん上がっていくことになるのである。このことは、当初の企画段階では誰も予想しなかったことであったが、コンテストとしての好ましい状況が自然発生的に醸成されていったものといえる。

 

     指導に関する教育上の工夫と社会的反響
   

 学生の創造性を高めるためには、画一的に、あるいは計画的に指導することは難しい。基本には創作意欲を増す環境の醸成が必要である。また、意欲ある学生が自由に活動できる雰囲気が学内にあることが重要である。しかし、現実の中では、このような空間を得ることは、まず物理的に困難である。本校でも、このコンテストに参加するための学生専用の部屋は有していないが、各実験室、実習室の一隅を開発環境にあてるなどの工夫をしてきた。これにより、学生と教官が時間を選ばずに討論でき、また開発できる空間の確保が、十分とは一言えないまでも実現できた。これは独創的なカを発揮させるための重要な要素のひとつといえる。

 このコンテストの最大のポイントは独創的なアイディアを、どのように実現していくかにあるが、アイディアの発想は単に時間をかけるだけでなく、ブレーンストーミングを繰り返し行うことによって得られるものと思われる。筆者の指導するチームに対しては、1〜2カ月にわたり放課後から夜間の時間を断続的に使ったフリートーキングを恒例としている。このブレーンストーミングで重要と思われることは、学生の積極的な討論が必須であることに加え、できるだけ教官が同席し見守ることである。また、前述の開発環境の確保にあわせて、学生が興味を抱く最新の情報を、身近に確保できる体制を取っていくことも欠かすことのできない指導事項であるといえる。さらに、システムの制作にあたっては、ソフトウェア工学にのっとった教育実践を守ることが重要である。ことに、プログラミングに入る前に、十分に仕様を吟味し、基本設計に時間をかけることが、短期間で完成させるための必須の条件といえる。したがって、開発に先立ってソフトウェア工学の基礎を教授することになるが、これは重要かつ不可欠なステップである。これにあわせて、教師側はスケジュール管理の重要性を強調し、実践させることも必要である。このために私はチーフプログラマー体制を敷き、リーダー学生と指導教官の連携を十分とる工夫をしている。また、作成メンバーと指導教官との定期的なミーティングは、進捗管理の上からも欠かすことのできないものと思われる。

 コンテストでの最大の収穫は、情報産業界からの評価が高い点であった。本選期問中のデモンストレーション審査時にも、業界の経営者および技術者からの熱い視線を感じた。また、いくつかのシステムで商品化への打診もあり、業界に対する発信も徐々にできてきている。これらのシステム開発を機に、本校、企業、プロコンを経験した本校の卒業生の編入先大学を結んでのバーチャルラボラトリ計画も進みつつあり、今後の成果が期待される。

 また、新聞雑誌テレビ等からの取材も相次いでいる。若い学生の独創性が評価され報道されることは、高専という機関にとっても意義あることであるが、あわせて当該学生や後輩にとって満足感の得られることであり、さらに創造性を増すための起爆剤になっているように感じる。ことに第8回からNHKテレビの科学番組として全国放映がかない、高専の学生の活躍ぶりに多くの時間が割かれた。このことが若年層(ことに中学生)に刺激を与えることは大いに期待できるものと思われる。数年間にわたりNHKに通い説得してきた努力がなんとか実り、感激している。

 加えて、指導者の立場としては、各種のシンポジウムや地域の情報産業の研究会などでも、独創的なソフトウェア技術の振興に関するアドバイスを依頼される機会が与えられ、参加者から大きな反響を得た。これらは、高専という枠を超えても独創性教育がいかに大切に考えられているかを示すものであり、今後の高専と情報産業界の密接な関係強化という点で特筆できる。

 こんなトピックスも唐突に起きた。第8回の本選当日に特別審査員としてお招きしたアルゴリズム理論の世界的権威のブルーノ・ブッフバーガー教授(オーストリア、リンツ大学)が本選第一日のプレゼンテーション審査を終えた後、「日本の若者の発想と技術力に感動した。今回のグランプリチームを、ぜひともリンツ大学に呼んで、共に交流をしたい」と言い出されたのである。結果的にブッフバーガー教授のご厚意と、情報産業界の企業各社のご支援により、リンツ大学等への研修旅行が私の指導するチームに与えられ、実現したわけだが、これは、プロコンに対する望外の高い評価である気がする。

 そういえば、第5回の富山大会の特別審査員の千葉麗子嬢は、閉会式の挨拶で「皆さんの努力の結晶を眺めているうちに、いったい私は何をしているんだろう、とつくづく思った・・・」と述べ、涙で声を詰まらせながら「私も皆さんと同じようにソフトウェアの社会で生きたい」と結んだ。それから2年、彼女は輝かしいタレントの座を、自ら降りて、今はソフトウェア業界で経営者として活躍している高専のプロコンは、そんなドラマをもこしらえてしまうエネルギーを持っているのである。

 さて、学生がコンテストに参加し、「ものづくり」をやりぬくためには、かなりの忍耐と努力が必要である。しかも、独創性に挑み、さらに実用に近づけるという場は、一般の授業体系ではなかなかむずかしい。しかし、これらを克服し、成就できたときのよろこびや充実感は、高度情報社会の技術者を目指す学生にとって、大切な経験であろう。教育としては、時間と手間の大いにかかる仕事ではあるが、より多くの学生にこの体験をしてもらいたいと感じている。

 冒頭の話にもどろう。読者の皆さんは、ワールドカップ優勝チームに勝ちたいという「ロボカップの夢」についてどう思われるだろうか。「無謀なる挑戦?」、「見果てぬ夢?」・・・。でも、人知の結晶は、人が空を飛べるようにしたし、火星への探索だって可能にしてしまった。かなわぬ夢ではないかもしれない。私は、可能性を信じて、世界20力国以上で「ロボカップ」に挑んでいる数多くの科学者にエ−ルを送りたい。プロコンに夢膨らませる若者の姿を重複させつつ・・・。

 

   
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