高専実践事例集V
工藤圭章編
高等専門学校授業研究会
1998/12/20発行

   


  
こんな授業をやってます

   
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  2. 汗をかけば感動がある

 

 ●続たたら実践記(136〜151P)

  日本刀が出来た!        五十嵐譲介 木更津工業高等専門学校教授

     
 

 はじめに

 
   

 平成八年一月二十七日、一般特別研究授業(以下「特研」と略す)「たたら製鉄から日本刀への道」の三度目の製鉄操業で、執念の成功を遂げ、約三キロの鉄塊が出来た(このことについて は『こんな授業をやってみたい』に報告)。念願の鉄は出来たが、さてこれをどうしたものか。 古刀を復元したいなどと大風呂敷を広げてスタートした「特研」も、第一関門の鉄作りには成功 したが、それから刀作りがすぐ出来るなどとは、いくら楽観的な自分でも考えてはいなかった。 ところが、自分でも驚いたことに、いろんな幸運が重なって日本刀が出来てしまったのである。 更に驚いたことに、出来上がった刀は、室町時代の古刀に匹敵する古い地鉄の肌が出ているらしいとのこと。当然、完璧な名刀とは言えないまでも、まがりなりにも室町期の古刀に見えるものが復元出来たのであった。

 今回は、夢のような幸運に導かれてとんとん拍子に日本刀が出来上がった経過と、その後の決して甘くはなかった「特研」での鉄作り実験の実践報告をしたい。

 

   幸運な出会い
   

  さて鉄は出来たものの、これが世に言う「玉鋼」なのか、又、この鉄で本当に刀が作れるものなのか、全然わからないので、刀匠に見てもらおうと思った。刀匠と言えば、職人中の職人、気むずかしく素人などは相手にしてくれないかとも思えたが、実は当てがない訳ではなかった。

 一九九四年十月五日の朝日新聞千葉県版に、勝浦市の小学五年生が校外学習で、同市の江澤利宗刀匠方で刀作りを見学したとの記事が載っていたのを切り抜き保存していたのだ。恐る恐る電話してみたら、今は勝浦から三芳村に転居しているとのこと。ようやく連絡がつき、たたら鉄を見てもらいたい旨お願いをしたら、持って来なさいとの返事。喜んで持って行って見てもらった所、「なかなか良く出来ているので、刀に打ってあげましょうか」との思いがけない言葉を頂いた。

 ここから、大風呂敷を広げた「特研」の題名「日本刀への道」が、幸運にも目の前に見え始めたのである。それに加えて、奇遇というか奇縁というか、私が担任となった新入生の保護者に刀の研師の方がいたのである。それも日本有数の技の持ち主で、その道では大変高名な柳川清次氏であった。これほどの偶然・幸運が重なることはめったにない。これは何としても心して素晴らしい「日本刀」を完成させねばと思った訳である。そんな思いでいたら、来年は本校の三十周年で記念行事をやるというではないか。何と言う絶好のお膳立てであることか。早速、校長に申し出て、我々の「日本刀作り」を三十周年記念行事の一環として認めてもらった。

 刀匠も研師も我々の志を認めてくれ、全くの好意から無料で仕事をしましょうとおっしゃって下さったが、それでは余りにも好意に甘え過ぎだと思ったので、同窓会に謝礼のための資金援助を申し出た所、快く認めて頂いた。このような幸運が重なって、我々の「日本刀作り」が始まったのである。

 

   鍛冶作業
   

 平成八年七月二十四日、千葉県三芳村の江澤刀匠の鍛冶場に、特研学生と教職員総勢十一名で出かけて、鍛冶作業に臨んだ。刀匠のふいご操作で灼熱の炎が上がる中、真っ赤に熱せられた鉄塊が取り出され、それに私がへっぴり腰で記念となる大槌を振り下ろした。おっかなびっくりの向槌では捗らないので、直ぐ機械ハンマーに替えられた。ガンガンと力強く連続して叩いたら、なんと鉄塊がばらばらに砕けてしまったのである。我々はこりゃどうなることかと心配した。刀匠の心づもりでは、赤めた鉄塊をそのまま叩きまとめて、折り返し鍛錬するつもりであったらしいが、このように砕けてしまったので、暫く考えた末、砕けた小片をハンマーで煎餅状に平らにして水に入れ急冷し、それをまた小割りにした。所謂、積み沸かしで鍛錬するわけだが、本心はうまくいくかどうか自信はなかったそうである。刀匠の後日談によれば、我々が見ていなければやってもしょうがないとあきらめたであろうとのことだった。しかし、我々の期待の目に囲まれて、刀匠は流れる汗を拭いもせず、長年の技術に新しい試みを織りまぜながら丁寧な沸かしをかけ、なんとか四角の鉄のブロックに纏まった。それから八回の折り返し鍛錬を加え、一尺二寸の脇差の長さまで細長く打ち延ばす「素延べ」の作業で、七時間に及ぶこの日の鍛錬を終えた。学生も自分も初めて刀作りの現場を体験して、たたら鉄を細長い四角の棒状にまとめあげることがいかに大変であるかを理解した。

 翌日、昨日の「素延べ」にした細長い長方形の角棒を小鎚で叩いて、刀の形を打ち出していく「火づくり」の工程を経て、刃渡り一尺二寸の脇差が打ち出された。最初三キロの鉄塊が六百グラムになっていた。折り返し鍛錬と素延べの工程で不純物が叩き出され、純粋な鋼に仕上がった訳である。

 

   さまざまな職人の技の記録
   

 その後、刀匠による研ぎ(鍛冶押し)が施され、研師に渡り下地研ぎがなされた。これからさまざまな職方に回る訳だが、今回は短い脇差なので、はばき師、鞘師と手渡され、「はばき」と白鞘が作られた。「はばき」とは、刀の茎元にはめられる銅製の金具で、これで鞘にしっかりと固定するためのものである。そして、又、名人柳川研師のもとに戻ってき、至芸の仕上げ研ぎが施され、ここに鈍色の沸冴えわたる一尺二寸の脇差が生まれ出たのだ。この青白く古色に光る脇差は、最後に刀匠の手で茎に銘が切られ、鍛造作業から一年三カ月を経て、平成九年十月吉日についに完成した。

 平成八、九年度の特研では、二年に及んだこれまでの刀作りの全ての工程をビデオに収録した。地元千葉県産の砂鉄を使った「たたら製鉄」から、灼熱の鍛冶作業、人々の目にほとんど触れることのない地味ではあるが重要な「はばき作り」、学生が居眠りをこらえながら長時間の録画収録をした際、同じものを再度作って工程を説明して下さった鞘作り作業、学生達が初めて手にした本物の日本刀に感動し、静謐な仕事場に正座しながらビデオを回した研ぎの作業と、まさに一粒の砂鉄から刀が出来上がるまでの全体像を記録できたことは、この特研のもう一つの成果であったと思う。

 特研「たたら製鉄」の目標の一つに、地元千葉県産の砂鉄で鉄を作るということがあった。今回の刀作りでは、地元千葉県の刀関係の優れた職人さん達の協力により、まさに地元、千葉県の刀を作り得たと思っている。ビデオ収録では、お忙しい中我々の厚かましいお願いを快く受け入れて頂いた職人の方々には本当に感謝申し上げたい。

 このことを特研の授業という観点から見ると、たった一時間の特研の授業が、学外の優れた職人さん達との協同作業のつながりと広がりを持ち得たことに大きな意義を改めて感じる。今回のビデオ収録では、まさに学内だけでなく学外にも飛び出し広げていく授業の可能性と必要性を身 をもって経験した。

 

   たまげた結果と公開展示
   

 このように幸運に恵まれて念願の「日本刀」は完成した。ところが、思いもかけなかったことに、この刀が非常に良い出来だというのだ。それも室町頃の古刀の地鉄の味わいが出ているとの鑑定を名人研師より頂いたのだ。

 たたら製鉄を始めるに当たって私は、江戸時代から現代に至る四百年間の刀匠達が目標とし、誰もが到達できなかった鎌倉古刀の復元を目指すなどと大法螺を吹いた。いくらなんでもそんなことが可能と自惚れていた訳ではなく、出来たらいいなあとの願望であった。それが鎌倉とはいかぬまでも、室町の古刀に近いものが出来たのである。勿論作ったのは江澤刀匠であるが、その鉄は我々が作ったのである。なんと愉快なことではないか。この結果に江澤刀匠も大変勉強になったと喜んでくれた。何よりも有り難いことである。

 この脇差を、平成九年十一月一日の本校文化祭で展示するとともに、なんとか一時間にまとめ たビデオ記録を上映した。又、十一月十三日に行われた本校三十周記念パーティの席で公開展示することができた。この刀には「邯鄲」と命名した。命名の由来は、「邯鄲の夢」の故事や「感嘆」の声を求むるとのことではなく、この刀の趣、秋の虫「邯鄲」の幽玄ですずやかな鳴き声に通うものあり、との思いによるものである。自画自賛の一人よがりではあろうが。

 そして、我々にとって記念すべきこの脇差「邯鄲」を、木更津高専三十周年を記念して学校に寄贈した。

 

     その後のたたら製鉄
   

 とんとん拍子で日本刀作りが進んだ平成八年度の第一回たたら操業には、言わずもがな結構自信をもって臨んだのであった。

 平成八年十一月三日文化祭当日。前日の雨のせいで湿度が高く、操業には悪条件だが文化祭企画なので決行した。早朝六時五十分、昨夜作った粘土炉に炭を投入し、炉の乾燥を開始した。八時十八分、光高温計による炉内温度が一三九六度となったので砂鉄投入を始めた。炉内の強制乾燥も十分だし炉頂よりの炎も十分だ。昨年度の苦労が報われて今年は快調だ、成功だと内心思いながらいつもの通り砂鉄と炭を投入していった。しかし、十時四十五分、ノロ出しをするもノロが出ない。それだけでなく内部のノロが流れないため、送風用の羽口からの風がノロに直接当たり、温度が下がり黒く固まって羽口を塞いでそれでますます炉内温度が下がるという悪循環になってしまった。粘土炉なので駄目になった羽口の上に新たな羽口を鉄棒で開けて、操業を続けたがうまくいかず失敗に終わった。やはりノロが粘ついて流れないのが最大の原因である。

 平成九年一月二十六日、二回目の挑戦。この時も操業二時間後、やはりノロが流れ出ず、羽口が詰まり、同じ原因で失敗した。それに今回は送風機として使っていた掃除機が壊れてしまった。反省会では、どうしたらノロを流れやすくできるのかを検討し、粘土に混ぜる砂の量と炉の内側の形の改良などが挙げられた。

 三月に三度目の挑戦。別の掃除機を調達して、前回の改良すべき点を改良して操業。今回は少しばかりノロが出たので期待したが、五百グラム程の小鉄片しか出来ずとても成功とは言えない。結局この年は三度とも失敗であった。刀の製作がうまくいっているので余計に落胆の度合いが大きかった。

 

     失敗に次ぐ失敗
   

 平成九年度、新たな特研生を迎え、昨年の失敗を乗り越える意気込みでスタートした。又、川 崎製鉄のスラグの専門家に昨年度の壊した炉壁を見ていただき、粘土に珪酸分が多いのではないかとのアドバイスを得ることができた。ノロが粘つく原因は、粘土に混ぜた砂の珪酸がガラス状になるからと考えてはいたが、しかし、たたら炉にとつて粘土の珪酸分は欠かせない要素であることも事実で、砂の配合比をどうすべきかに迷っていたところであった。このアドバイスにより前回より砂の配合比を少しずつ減らしていけば、いつか適正値にぶつかり成功すると予想できた。

 一回目、十月十八日、文化祭前の予備的実験。今回は旧型掃除機からようやく新品の専用ブロアーを二台入手でき、送風口を左右六つにした。前日に送風実験もして風の量は十分であることも確認しておいた。今回は大いに期待できるものであった。

 炉の乾燥を十分にした後、九時五十分より砂鉄を投入した。炎の状態もいい。これでうまくいくかと思ったのだが、十時三十分ノロ出しをやるがノロが粘って出て来ない。また失敗だ。

 今回の実験は予備実験との意識があったためか、元釜の断熱が杜撰であった。送風機は問題ないが風を送るホースが固すぎて羽口掃除がやりづらかった。とにかく前と同じ失敗だった。

 二回目、十一月二日文化祭本番。前回の失敗から、元釜の断熱もしっかり作った。それに今回は釜下の地中にビニールを敷いて断熱効果を高めようとの新たな試みもした。ホースも柔軟性のあるものを探してきた。砂の配分比も前回より減らした。今度こそとの意気込みで実験は開始された。だが、結果はまたまた失敗、これで五度続けて失敗だ。さすがに気持ちがしぼむ。去年成功したのは単なる偶然だったのか、と落ち込んできた。学生の落胆も大きい。

 

     ついに成功、思いがけぬ収量
   

 「たたら」製鉄が単なるラッキーで成功することはない。そう思い返して、三度目の挑戦をした。今度は少し肩の力を抜いて気楽に行こう、そんな気持ちで取り組んだ。

 三回目、一月三十日。あまり失敗が続いたので、今回は地元産の砂鉄から、ノロの流れやすいという出雲産の砂鉄を初めて使った。いつも通りの砂鉄と炭の投入を続けた。砂鉄投入の一時間二十分後、最初のノロ出しだ。湯口を鉄棒で叩く。出た、ついに出た、オレンジ色のノロだ。流動性のあるノロだ、ついに成功か。二度目、三度目のノロも快調に流れた。四度目は自然に湯口から流れ出て来た。砂鉄投入五時間後、ついにケラ出しだ。砂鉄投入総量、二十一キロ、まあ三キロぐらいは出来ていないかなあと期待して炉を壊していった。いつもの如く炉底の塊をため池に投げ入れ、引き出して余分な粘土塊をハンマーで叩き落としてみたら、なかなか重いのである。早速、秤で計ってみたら、なんと七キロもあるではないか。大成功だ。皆でジュースで乾杯した。

 

     学生の感想
   

 次に平成八年度と九年度の特研学生の感想文を紹介する。

 平成八年度学生より

〇実験を始める前の夏休みに、鍛冶作業を見学させていただいた。千葉県の南房総三芳村という所の江澤さんという刀鍛冶の所へ、希望者で見学させていただいたのだ。

 なんだか錆たような金属の塊をどんどん鍛えて、ついには刀の形にするまでを、驚きながら見ていた。鍛えられた金属はとてもきれいだと思った。砂鉄から、玉鋼まで、そして、さらにそこからの長い道のりをかけて素晴らしい刀が出来上がる。ほんの一部分しか見ていないが、一つのすごい行事が行われていたのだと今さらながら思った。この鋼は、前年度の特研で作られたものだった。私たちも立派な鋼を作って、こうして刀にしてもらおう、ととても楽しみだった。が、実際にはなかなかうまくいかず、たたら製鉄というみのの奥の深さを知った。それは二千年近くかけて、日本人が編み出したものなのだ。この一年間の特研の事について振り返ると、ありきたりだか、楽しかったと思う。やってよかったと思う。結局、鉄はできなかったが、それでもこの経験を生かし、前へ進めたらと思う。

 印象に残ったのは、火のこと。炎というのは、水の流れや雲と同じように、いくら見つめていてもあきない。同じようでいて、いつも変化を繰り返している。普段、私たちの日常生活では、火をおこすことはめずらしい。いいものだと思った。

 あともう一つ。五十嵐先生が粘土ができた時「ああ、いい粘土ができた」と言っていたのが印象に残っている。なにか、大事に育てたものに言うようで覚えている。そして、そのうち実験を重ねていくうち、「アア、いい鋼ができた」なんて言う日がくるのだろうと思った。

平成九年度の学生より

〇この特別研究を選ぶ時に、とにかく自分が体を動かして体験でき、しかも面白そうなものをと思い、真っ先にこの「たたら」を選びました。そして、一年間やってみて、期待していた通りとても楽しかったです。

 最初は、資料を読んだり、ビデオを見たりしたけれど、やっぱりあまりピンときませんでした。しかし、一回、二回、三回と操業をしていくうちに、たたら製鉄とは何か、また、どんな風に鉄ができていくのかがだんだん分かってきました。そして、ケラが出て来た時、特に、今年は三回目にして大きなケラができましたが、一回目と二回目に、ほんの小さな粒鉄が出来た時でも大きな喜びを得る事ができました、しかし、今年成功する事ができたのも、今年まで手探りで行ってきた先輩達の努力や色々な研究資料を提供してくださった方々、そして、何よりも先生が今まで積み重ねてきた努力の成果だと思います、私達は、特別研究という授業の一環として、たった一年間しかそれを学ぶ事はできませんが、これからは千葉県産の砂鉄による成功など後輩達に期待する事はいっぱいです。あと、できた玉鋼を自分で加工(これもやりたかったです)できるくらいになれたらいいですね。特研という科目がある限り、この高専たたらの火は、ずっとずっと残ってほしいです。そして、少しでもたくさんの人に、たたらというものを知ってほしいと思います。

  私は、機械工学を学ぶ人間の一人として、将来は今よりも、もっともっと優れた技術を開発 したい、そんなエンジニアになれたらと思っていますが、そのためには、昔の人が、どんな苦労をして、どんな知恵と工夫で生活をよりよく発展させ、そして現代の技術に結びついたのかを知っておくべきだと思います。そして、それを知るチャンスが、この特研「たたら」でした。

  また、現代の製鉄技術も、得られる純鉄も、すばらしいと思いますが、個人的には、古代の技術「たたら復元」にもっともっと頑張って、見返してほしいなんて思っています。

  最後に、いつも出て来る人は同じだったりと多少は不満な面もありましたが、寒い中、夜遅くまで粘土を踏んだり、炉を作ったりして、たまたまこの特研に興味を持って選んだみんなと仲良くなれて良かったとおもいます。

〇たたらについてはなにも知らない状態で、この特研に参加したわけだが、一年が終わってみて、一般にはマイナーなたたら製鉄を体験できて本当に良かったと思う。

  私は今まで、鉄は大きな溶鉱炉を持った工場でないと出来ないと思っていた。砂鉄は鉄では あるが、それが鉄の塊になるなんて思わなかった。しかし、この実験では、あの小さな炉で燃料は炭のみで鉄の塊を作ってしまった。

  たしかに現代の製鉄技術に比べて能率は良くない。消えてしまったのは判る気はする。しかし、私は火の熱さ、勢いがすばらしく、温かな人間味があると思う。大きな工場での大量生産にはない、製作に関わった全ての人の息吹が出来た鉄からは伝わってくる。その鉄で作られた刀が素晴らしいのは、職人さんの腕以上に、たたら製鉄を頑張った先生や学生みんなのパワーがその刀に刻み込まれているからに違いない。

  反省して、改善して、次の操業につなげる、別にきちんと計算したわけではない。もしかしたらそうすればもっと結果は得られるのかもしれない。だが、この操業はきちんとした仕法書 もなければ、機器も精密ではない状態でやっている。手探りで、まさにやってみなければ判らない。だから、失敗しても次に頑張れるのだ。今回三回目で成功を収めたものの、それでもこれがゴールではないのだと思う。

  古代の人々も、ある意味でこうしてこの製鉄法を伝えてきたのだろう。前回より今回、そして次回とよりよい鉄を作るために…。普段、教科書通りの実験をやっている私達には良い頭の運動にもなったように思う。

  最後に、このような貴重な体験をさせて下さった五十嵐先生に感謝、そして、先生の底抜けのパワーに敬意を表します。

 

     まとめ
   

 最後に、これまで三年間この特研「たたら」の授業をやってきて、自分なりに感じたり考えたことをまとめておきたい。

@特研では、授業内容を独創すべきだ。

 特研とは、担当教師の自分なりのものの学び方や、自分で本当におもしろいと思ったものを学生に伝えていくみのと私は考えている。だから当然、独創が必要になる。これは難しいがやりがいはある。注意すべき点は、学生がついてきれているかの自己点検であろう。

A無駄(に見える)が大事だ。

 この特研の授業は無駄(に見える)に満ち満ちている。三分の二は、実験現場の草取り、屋根カバーの補修、材木運び、土木作業等の製鉄とは直接関係のない肉体労働である。これなくして「たたら」はない。もの作りにおいては、このことが一番のポイントと思う。この特研を選んだ学生の多くが、無駄(に見える)な作業を厭わぬのは、頼もしく大いに期待できる。高専生の大きな長所だと思う。

B一杯のジュースの力

 高専生には素朴な学生が多いのか、つらい作業の後の一杯のジュースでの乾杯が、結構やる気を引き出していると思う。飲み物や食い物で釣るわけではないが、教師の一杯のジュースのおごりが学生の心にそれなりに響いているようである。

C焚き火の魅力

 学生の感想文にも出ているが、一年に二トントラック二台分程の木っ端を燃やしている。この炎が結構、人間を惹き付ける。たまに焼き芋もやるが。

Dもの作りには総合力。肉体センサーを鍛えろ。

 もの作りに専門的能力は不可欠だが、何でもやってやろうとの好奇心とエネルギーが必要だろう。先日、特研の環境の学生に四メーター四方の土地のトランシットを使った測量を頼み、道糸を張ってもらったところ、一時間もかかってやっと終わったというので、見てみたら、見ただけで九十度が狂っているのだ。何のための機械か。正確とは何かを時々考えさせられる。

E学外の人との協同作業。

 学外に飛び出していく積極性が必要。特研授業はやろうと思えばそれができる。今までの学外協力者を挙げてみる。新日鐵、川崎、黒崎炉工業、製材所、解体業者、刀剣職方等。

E「たたら」は心作りだ。

 人間生活の基礎はやはり心であろう。若い学生は当然のことながら、心ができていない。教師だって同じかも。自分なんかひどいものだ。だからこそ、失敗にくじけぬ心、挑戦していく心などを身につけられたらと思う。これを必要としているのは、誰よりも教師である自分である。

 何はともあれ、私には、この特研「たたら」がおもしろくてたまらないのだ。

 

   
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