高専実践事例集U
工藤圭章編
高等専門学校授業研究会
1996/7/20発行

   


  
こんな授業をやってみたい

   
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 ●詩を発見する授業(54〜68P)

  「七つの子」はカラスの歌か?         鈴木邦彦     沼津工業高等専門学校教授

   はじめに
 
   

  なにげなくそらんじていたり、意味も考えずに口ずさんでいた歌や詩が、実は思ってもみなかった世界を歌っていたことに気づいて、宇宙への窓が開いたようなドキドキした気分になることがある。このような「詩の発見」を一度体験すると、もう次からは、「なにげなく」とか「意味も考えずに」などという気楽な気分では詩を読めなくなる。いつも自分なりの発見をしようと、詩の世界にくい入って行く。「詩の発見」をすることが「読むこと」の出発ではあるまいか。
 私はそう考えて、毎年その年の授業のはじめの一ヶ月ほどを、学生と一緒に「詩の発見」を楽しんでいる。以下は、私の詩の授業の、教師の説明部分だけをなるたけドキュメント風にまとめた、報告である。

 

   詩を書くことは発見だ━━石垣りん「シジミ」
     詩とは何か。いろいろな人がいろいろな言い方をしているが、僕はこう思っている。
「今まで誰も言ったことのないほんとうのことを、今まで誰も言ったことのないドキドキするような言い方で、いっとう最初に言ったもの」
 ふつうの言葉で言えば、真実の発見、だ。人間として生きていくなかで何がもっとも大切なのかということについての、新しい真実の発見が詩だ。たとえば石垣りんさんの「シジミ」という詩を読んでみよう。

 「シジミ」   石垣りん

 夜中に目をさました。
 ゆうべ買ったシジミたちが
 台所のすみで
 口をあけて生きていた。

 「夜がアケタラ
 ドレモコレモ
 ミンナクッテヤル」

 鬼ババの笑いを
 私は笑った。
 それから先は
 うっすらと口をあけて
 寝るよりほかに私の夜はなかった。

 作者の石垣りんさんは東京生まれだが、ご両親は南伊豆の人だ。だから伊豆をうたったすばらしい詩がたくさんある。昔、静岡県の高等学校の国語の先生方が研究会でどなたかに講演をしていただこうということになった。僕はそういう係だったので、石垣りんさんに来ていただけたらと考えて交渉の電話をすることにした。僕は以前、国語の参考書を書いた時に石垣りんさんの詩の一つを取り上げさせてもらったことがある。しかし、お会いしたことや直接電話をさせてもらったことは一度もない。だから電話をした時はドキドキした。「リリリーン、リリリーン」と電話が鳴る。お留守かなと思った時「はい、石垣りんでございます」という美しい声がひびき渡った。ドギマギしながら僕は言った。「あのう、初めてお電話をさせていただきますが、私、静岡高校の鈴木邦彦と申しますが……」とまで言い終わらないうちに、石垣さんの声がまた響き渡る。「あっ、鈴木先生。静岡高校の鈴木先生ですね。前に参考書で私の詩のことをよく書いてくださった鈴木先生ね」。僕はびっくりしてしまった。前にも言ったように僕は石垣りんさんにお会いしたこともなければお電話をしたこともない。それを覚えていてくださり、しかも最初の一声でそのことを思い出してくださるなんて。こういう細やかでやさしい心づかいがあるからこそ、僕らがぼんやり見逃している毎日のなかからドキッとする世界を見つけ出し僕らをハッとさせてくださることができるのだ、と思ったのだった。その時の石垣さんのご講演は、気どらず威張ったところなどみじんもないしみじみと心に伝わってくるお話しだった。ご講演の終わったあと、新聞社の友人と三人で静岡の丸子にある「待月楼」という料亭で、おいしいごちそうと越乃寒梅というおいしいお酒をいただいたが、あの時の静かで豊かな時間は今も忘れられない。
 さて、道草を食ってしまった。「シジミ」を読んでみよう。「夜中に目をさました。」そして台所を通ったのだからこの人は多分トイレに起きたのだ。トイレに行く道すがらでさえ詩人は発見してしまう。いったい何を発見したのか。そう、「シジミ」たちが「生きていた」ことを見つけてしまったのだ。僕らは「シジミ」をおみおつけの実として以外考えたこともない。「シジミ」といえばおみお 57つけ、と考えるのが当たりマエダのクラッカーと思ってしまっている。お母さんが朝おみおつけの 58熱湯の中に「シジミ」をドドッと入れるのを見ても、うちのお母さんは殺人者だなんて思ってもみない。しかし、「シジミ」の学校があったとして、「君たちは、大きくなったら何になりたいですか」と先生に聞かれた「シジミ」がいっせいに手をあげて「僕はおいしいおみおつけの実になりたいです」などと答えたりするのだろうか。「シジミ」には「シジミ」のかけがえのない人生というものがある。「シジミ」は水でっぽうのように口をとがらせて、人間どもが寝入っている夜中も「生きてい」る「シジミたち」だったのだ。
 そのことに気づいてしまった詩人は、もうきのうまでのように「シジミ」のおみおつけを平気では食べられない。私は生きものを食って生きる「鬼ババ」だった。「夜がアケタラ/ドレモコレモ/ミンナクッテヤル」とおどけてみなければとても「シジミ」のおみおつけなんか食べられない。生きものを傷つけずには生きていけない生きていくことの悲しみ。生きるものが背負っている罪の深さ。詩人はうちひしがれてしまう。
 それから先、うっすら「口をあけて」寝るよりほかはないのだが、待てよ、「口をあけて」……。そうだ、私は「シジミ」を食べずには生きられないひどい「加害者」だが、考えてみれば、私も「シジミ」と同じように「口をあけて」寝るしかない「シジミ」と同じ「被害者」なのだ。「シジミ」となんら変わることのない、かよわい存在。現代社会という「鬼ババ」どころでなく恐ろしく巨大な組織の中で、人間性をむしばまれながら生きている。
 詩を読む楽しさは、日常の多忙の中で気づかずに見逃しているほんとうのことを、ふとかいま見せてくれるところにあるのだ。

 

   「お父さんこわいよう、僕、海にひっぱられている」━━ドキドキするような表現の発見
   

  詩を書くことはほんとうのことを発見することだ、と言ったが、「発見」と言ってもそう大げさなことばかりではない。「今まで誰も言ったことのないドキドキするような言い方」を考え出すこともまた、「発見」なのだ。
 僕はきのうのお昼ごろ、車のラジオでドキドキするような放送を聴いてしまった。NHKで放送していた魚釣りの話に対する聴いていた人の感想らしかった。放送を聴いてその気になって、小さい男の子二人を連れて釣りに行ったのだという。二人の男の子のうち弟は釣りがはじめてだった。しばらくすると弟の方が釣り竿を引っ張りながら叫んだ。「お父さんこわいよう、僕、海に引っ張られている」。お父さんはあわてて言った。「かかってるんだよ! 魚がかかってるん」。二〇センチくらいのキスだったそうだ。
 「僕、海に引っぱられてる」━━これこそが詩だ。「かかっている」というようなカビの生えているような言い方ではない。ピッカピカに光っているのだ。こういう表現を見つけ出すことが、詩を書くことの大発見だ。

 

   「七つの子」はカラスの歌か?━━詩を読むことも発見だ
   

 詩を書くことが作者の発見したことを表現することであるなら、詩を読むこともまた、その作者の発見した真実を詩の中から見つけ出すことだ。詩を読むこともまた十分に「発見」なのだ。
日本人なら誰でも知っている「カラスなぜなくの……」という童謡がある。あれは本当は「七つの子」という題の、野口雨情という人が書いた詩なのだが、あの詩を読んでみよう。「七つの子」はカラスをうたった歌なのだろうか。

 「七つの子」    野口雨情

 
烏 なぜ啼くの
 烏は山に
 可愛七つの
 子があるからよ

 可愛 可愛と

 烏は啼くの
 可愛可愛と
 啼くんだよ

 山の古巣に
 いって見て御覧
 丸い眼をした
 いい子だよ

 昔あるグループが「カラスなぜなくの、カラスの勝手でしよ……」という迷文句をくっつけて一躍有名になりはしたが、「七つの子」の持っている涙が出てくるような美しい世界をぶち壊しにしてしまった。それからだ。「超ムカツク」という超勝手で超ひとりよがりなへんな言葉がでてきたのは。とまあそんなことはいいとして、この詩を一読して何か気のつくことはないだろうか。じっくり読んでみてごらん。
 そうだ、実はこの詩は全部会話でできている詩なんだ。
 「烏 なぜ啼くの」これは四、五歳の正夫くんのセリフだ。するとお母さんが答える。「烏は山に/可愛七つの/子があるからよ」。七つの子、とは何だろう。七歳の子、とはとりにくい。七羽の子、ということだろうか。また正夫くんが聞く。「可愛 可愛と烏は鳴くの?」カラスのカアーカアーという啼声がなぜか正夫くんには「可愛 可愛」と聞こえてしまうんだね。なぜだろう。そう、正夫くんは、とても可愛いがられている子なんだ。いつもお父さんやお母さんから「正夫くんは可愛いね」と言われている。それで「カアー」というカラスの啼声まで「可愛」と聞こえるんだ。「可愛可愛と/啼くんだよ」と答えているのは、これは男言葉だからお父さんだろうね。お父さんは、「可愛可愛なんて啼いてるんじゃないよ。カアカアだよ」なんて言わない。正夫くんがなぜ「可愛可愛」と思いこんだか、そのわけに気づいているからだ。
さて、ここまで読んでくると、この詩の背景がわかってくる。場所は多分、山の駅だ。時間は夕方の五時三十八分ごろ。正夫くんのお父さんは町の会社に勤めているのだが、会社が終わったあと飲屋に寄って夜遅くまで上役の悪口など言って午前さまになるようなお父さんではない。毎日きちんと同じ電車に乗って五時三十八分には山の駅に着く。正夫くんとお母さんはいつも五時三十五分には改札口で待っている。お母さんが改札口から出て来たお父さんのカバンを受けとる。正夫くんを真ん中に三人手をつなぎながら山の駅を出ると山の空にはカラスがいっぱいだ。そこで正夫くんは「烏 なぜ啼くの」と聞くんだね。なぜ啼くのかというと、お父さんガラスとお母さんガラスには可愛いくてたまらない七つの子があるから、「可愛 可愛」と啼くんだ、と正夫くんのお母さんとお父さんは答える。それはそのまま正夫くんの家のとっても幸せな家庭そのままなんだ。つまり「七つの子」は、カラスが主役なのではなくて、とてもしあわせな家庭のひとこまなんだね。
 ところでこの歌の最後に「山の古巣に/いって見て御覧/丸い眼をした/いい子だよ」とある。森繁久弥という芸達者で歌もうまい役者がいるが、このひとが盲学校に呼ばれて「七つの子」を歌ったんだそうだ。思い入れたっぷりに歌ってきて「山の古巣に/いって見て御覧」まできてハッとした。森繁さんの前にいるのは目の不自由な子供たちばかりだ。森繁さんはなんともなかったように
 「丸い眼をした」というところを「丸い顔した」と変えて歌ったそうだ。泣かせる話だね。
 作者の野口雨情は明治十五年に茨城県に生まれた童謡詩人だ。雨情は「青い眼の人形」「赤い靴」「あの町この町」「雨降りお月さん」「黄金虫」「木の葉のお船」「十五夜お月さん」「俵はごろごろ」など、日本人が今まで心から愛唱してきた童謡のほとんどを作っている。岩波文庫の『日本童謡集』には彼の童謡がたくさん収められている。君たちはいずれお父さんやお母さんになるわけだが、君たちの子どもたちに歌ってあげるためにも、これらの詩の世界をじっくり楽しんでもらいたいものだね。

 

   「赤蜻蛉」はトンボの歌か?
   

 「赤蜻蛉」を作曲した山田耕筰さんが旅の途中町を歩いていたらとてもいい曲が流れてきた。山 田耕筰さんは思わず足をとめて流れて来る曲に聴き入った。しばらくしてため息をつきながら言った。「すばらしい曲だ。こんないい曲をいったい誰がつくったんだろう」。一緒にいた人たちが驚いてしまった。「先生、何をおっしゃるんですか。これ、先生の『赤蜻蛉』じゃありませんか」。天才ってこういうものなんだろうね。
 「赤蜻蛉」、曲もすばらしいが、歌詞がまたいいんだね。三木露風という明治二十二年生まれの詩人がつくった。兵庫県の龍野という町の人だ。まだ僕は一度も訪ねたことはないが、いつかかならず行ってみたい町だ。たぶん「赤蜻蛉」の歌詞の舞台となっている町にちがいないし、もし、そうでなくても、こんなすばらしい詩をつくった詩人のふるさとがどんなところか見たいものだ。今日は「赤蜻蛉」を読んでみよう。

「赤蜻蛉」 三木露風
夕焼、小焼の
あかとんぼ
負われて見たのは
いつの日か。


山の畑の
桑の実を
小籠に摘んだは
まぼろしか。

十五で姐やは
嫁に行き
お里のたよりも
絶えはてた。

夕やけ小やけの
赤とんぼ
とまっているよ
竿の先。

静岡県の磐田市に桶ヶ谷沼という池があって、有名なトンボの棲息地だ。行ったことはないが、 65シオカラトンボからミヤマアカネ、アキアカネ(これが赤トンボだ)、カトリヤンマ、ギンヤンマ、66ムカシヤンマ、オニヤンマ、ハグロトンボなど、それはたくさんのトンボがいるそうだ。その桶ヶ谷沼でトンボを守ろうという会があって、その席上、この「赤蜻蛉」の歌が歌われたそうだ。この例もご多聞に洩れずというところだが、「赤蜻蛉」というと、トンボの歌だと思っている人がほとんどではないだろうか。しかし、ほんとだろうか。まあまず、じっくり詩を読んでみてくれ。そして何をうたった歌なのか思ったところを聞かせてもらおう。
 で、読む時に注意しなければならない言葉がいくつかある。それをまず押さえておこう。第三連にある「姐や」、これはお姉さんではないんだよ(お姉さんだったら大変なことになってしまうんだが)。これは子守りのことだ。多分十四歳ぐらいかな。名前は、ゆき、おゆきさんだ。それから第一連の「負われて」だが、これは「追われて」ではないね。文字通り「負われて」だ。おんぶされて、という意味だね。誰が誰におんぶされていたんだろう。さ、読んでみてくれ。さっき言ったように何をうたった歌なのか。
 「負われて見たのはいつの日か。」「負われて」というのは誰が誰におんぶされている? そう、主人公だ。かりにまた正夫さんとしておこうか。おんぶされているのだから三つくらいかな。正夫さんが「姐や」つまり子守りのおゆきさんにおんぶされている。するとおゆきさんが言った。「正夫さん、ごらんなさい、あれが赤とんぼよ」。正夫さんは赤とんぼを見るのははじめてだった。きれいなトンボだなあと思った。しかし正夫さんは三つにしてはおませだった。赤とんぼの赤もきれいだったが、姐やの首も白い、と思った。それから姐やの背中はやわらかいなあ、とも思ったんだ。どういう奴だろう正夫くん。しかし今ではそれも「いつの日か」と言うしかない遠い日のことだ。
 第二連。桑の実を知っているだろうか。濃い紫色をしている、けむしのように毛の生えているようなものもあれば、木いちごのようにつやつやしているものもある。小さい頃はよく食べた。おいしい。その桑の実を山の畑に摘みに行った。誰が? 誰と? もちろん正夫くんがおゆきさんと。桑の実はおいしかったが、それより正夫くんの目に焼きついているものがある。おゆきさんはかすりの着物に前掛けをかけていた。着物は少し短かった。短い着物からおゆきさんの白い足がまぶしかった。だが、今ではもうまぼろしのような遠い昔のできごとだ。
 第三連。ところがおゆきさんは十五の時隣村の米作のところへ嫁に行ってしまった。正夫さんはその夜ふとんの中で泣いた。嫁に行ったおゆきさんから手紙が来た。「まさおさんおげんきですか。ゆきもげんきです。まさおさんはじき中学校のにゅうがくしけんですね。いっしょうけんめいべんきょうしてどうか合格して下さい。ゆきも毎日村のちんじゅさまにおまいりしておねがいしています」。その年の年賀状も来た。暑中見舞もきた。ところがその後手紙はぱったり来なくなった。年賀状や暑中見舞さえも来なくなった。ゆきの夫の米作がひどいやきもち焼きだったのだ。ゆきがいろりばたで鉛筆をなめなめ正夫への手紙を書いている。焼酎をチビチビ飲みながらいろりばたで焼い 67たにんにくを食べている米作がジロリとゆきを見て言う。「おめえ、誰に手紙を書いてるんだ、見せ 68てみろ!」「ウン? 誰だ、正夫様っていうのは!」
 第四連。正夫さんは隣町の中学に合格した。寄宿舎に入っているのだが、今は夏休みで帰省している。今日は八月の二十八日。リーダーの訳も、代数の宿題もやってしまったし、国語の作文も書いてある。そろそろ明日あたり中学校の寄宿舎に帰ろうかしら、と縁側でぼんやり庭を眺めていた。するといたのだ。庭の竿の先に。おゆきさんの背中ごしに初めて見た赤とんぼと同じ赤とんぼが。正夫さんの胸の中に、おゆきさんへのせつない思い出がよみがえってくる。
 三木露風の「赤蜻蛉」はけっして赤とんぼをうたった歌ではない。おゆきさんへの、正夫さんの淡い初恋の思い出の歌なのだ。正夫さんになったつもりで、三木露風作詞・山田耕筰作曲の「赤蜻蛉」を思いを込めて歌ってみようじゃないか。

 

   おわりに
   

 詩を読む、とは詩を発見することだ。詩を発見した喜びが、さらに深い読みに誘っていく。くりかえすが、「詩を発見する」ことこそ「読むこと」の出発なのだ。

 

 

 

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