高専実践事例集U
工藤圭章編
高等専門学校授業研究会
1996/7/20発行

   


  
こんな授業をやってみたい

   
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T 魅力ある先生たち
  2 おもしろ授業戦略

 

 ●昔話をとらえなおす(111〜122P)

  『浦島太郎』を読む              大島由紀夫      群馬工業高等専門学校助教授

   授業の目的と概要
 
   

 小稿で取り上げるのは、平成六年度に実施した四年次の国語(一単位・週一回)における試みの一斑である。高学年次に配当される人文系一般科目の担うべき役割について、ここで議論する余裕はないが、誤解を恐れずに言えば、この授業は、専門学科の教官から折にふれて要望の出る〃進学・就職のための実用国語〃とは、およそ縁遠い内容である。

 年度当初に学生に配布した授業概要のプリントには次のように記した。

 室町時代に成立したお伽草子『浦島太郎』『一寸法師』は多くの日本人に親しまれ、その影響下に成った文学作品は枚挙に暇がない。また今日に童話・絵本・昔話としても伝承されている。この授業では、国文学・神話学・民俗学・心理学などの研究成果を紹介しつつお伽草子作品を精読する。そうして、なぜこれらの作品が長く日本人に親しまれてきたのかを考察し、日本人及び日本文化を見つめ直す端緒をひらくこととする。(以下略)

 この授業の成果の一端を確認する意味も含めて、後期の後半は、日本人及び日本文化に関わる任意のテーマを設定し、四千字程度の小論文を作成することも、年度当初に予告した。
 なぜ『浦島太郎』を取り上げるのかといえば、第一にほとんどの学生が〃浦島太郎のはなし〃を知っていること、第二に浦島伝承が古代より現代に至るまで通史的に存在すること、第三に低学年次に学習した古文読解の知識でお伽草子『浦島太郎』を学生が十分に読みこなせること(お伽草子は筆者の専門でもある)、そして第四に心理学の立場から河合隼雄によってなされた浦島伝承に対する興味深い分析があること、等々の理由による。

 

   浦島伝承の変遷
     まず、授業では、今日に伝承される、最も広く知られた形態の昔話「浦島太郎」が、長い年月を経て民間に伝承されてきたものではないということを確認した。第二期国定教科書『尋常小学読本』(明治四十三年刊)に登場して以来、国定教科書が廃止されるまで掲載され続けた「ウラシマノハナシ」が、一般に知られる形態の浦島太郎譚の源泉となっていること、また、その「ウラシマノハナシ」が巌谷小波『日本昔噺』所収話に依拠したものであることが、既に明らかになっている(1)。〃昔々浦島は 助けた亀に連れられて・・・〃で始まる文部省唱歌「浦島」(『尋常小学唱歌・巻二』明治四十四年刊初出)もこの系列に属するものである。明治以前に遡り、後代への影響が最も大きかったのは、享保年間に出版された渋川版お伽草子『浦島太郎』であろう。授業では、まず、お伽草子『浦島太郎』(2)を通読した上で(挿絵も含めて)、浦島伝承の変遷を概観した。 浦島伝承を記す文献資料は、『日本書紀』『丹後国風土記(逸文)』『万葉集』巻九など、奈良時代にまで遡る。平安時代には『浦島子伝』『続浦島子伝』が述作される一方で、『俊頼髄脳』『綺語抄』などの歌学書にも浦島伝承が記される。鎌倉・室町時代には『無名抄』『水鏡』『古事談』などに浦島伝承がみられ、『浦島明神縁起』やお伽草子『浦島太郎』などが成立する(渋川版の刊行は近世であるが、お伽草子としての成立は室町時代まで遡る)。近世には近松の『浦島年代記』や渋川版『浦島太郎』、また赤本・錦絵などによって浦島伝承は広く流布した。こうした流れが先述した巌谷小波などの著述や島崎藤村『浦島』・森鴎外『玉篋両浦嶼』などの作品へとつながっていく。
 諸文献に記される浦島伝承を比較し、それぞれの時代における特徴と、時代を通じて変わることのない伝承の基本骨格をとらえるため、『日本伝奇伝説大事典』(角川書店、一九八六)の「浦島太郎」の項をプリントして配布し、説明を加えた。本来は、より多くの文献を実際に読むことが望ましいのであろうが、それは時間的にも許されないので、説明した内容を確認する意味で、お伽草子の他に、『丹後国風土記』逸文(書き下し文)や昔話「浦島太郎」(後に触れる河合隼雄が取り上げた香川県採集のもの)に目を通した。
 そのうえで、浦島伝承の時代ごとの特徴を大まかに次のようにとらえた。『日本書紀』や『丹後国風土記』など、奈良時代の浦島伝承は、道教の神仙思想に大きな影響を受けており、特定の土地に結び付けられた在地伝承という色彩が強い。これが平安時代になると、神仙思想がやや薄れ、恋愛譚の要素が強くなってくる。中世に入ると、例えば『無名抄』では浦島の翁が〃あさも川の明神〃となったと記し、お伽草子では、太郎が後に〃浦島明神〃と顕現したと結ぶなど、当時流行した本地物の体裁をとるようになる。特にお伽草子では、それまで「浦島子」とする主人公の名を「浦島太郎」とし、「助けた亀に連れられて」と後に一般化する〃亀の報恩譚〃の要素が入ってくることが注目される(神仏習合思想や仏教説話の動物報恩譚の展開については若干時間を割いて説明を加えた)。
 このように、時代背景や記される文献の性格によってさまざまな意匠をまとって浦島伝承は展開するが、時代を通じて変わらない要素、すなわち伝承の基本骨格となるものは、主人公が海で亀(女)と出会い異郷を訪問すること、異郷より帰還する際に玉手箱をもらうこと、異郷よりこの世に帰還すると想像を絶するほど時間が経過していたこと、玉手箱を開けると青年であった主人公があっという間に老人になってしまうこと、とまとめることができよう。
 以上のように、浦島伝承の変遷と伝承の基本骨格をとらえた上で、浦島伝承の分析へと移る。

 

   分析の視点
   

 浦島伝承については、さまざまな方面からアプローチがあるが、この授業で筆者は主に河合隼雄によるユング心理学の立場からの分析(3)を紹介しつつ、学生に問題提起を行おうと考えた(歴史学・文化人類学からのアプローチについては、二年次の『古事記』を扱った際に説明したことがあるので、浦島伝承に関しては簡略な紹介にとどめた。よって、ここでは割愛する)。ただ、いきなり心理学的解釈を提示しても理解しにくいであろうと考え、なぜ心理学者が神話・昔話の分析を行うのかを説明するため、心理学的分析と接点をもつ神話・物語研究の視点を説明するという、遠回りをすることにした。
 構造主義以降の、例えばクリステヴァやジュネットなどに至るナラトロジーの展開については、ここでは無視することにする。まず、学生がコンピュータ言語についてある程度の知識をもっていることをふまえ、記号論におけるコードとメッセージの関係や、ソシュールのいうラングとパロールの関係について、簡略に説明した上で(実はこの説明で相当の時間を費やした)、「ある文化の中で生まれる神話は、ある文化の中ではたらく神話体系の作用から生まれる」というレヴィ・ストロース的考え方をソシュールの言語理論に対応させて〈神話体系…ラング/神話…パロール〉ととらえた(4)。
 ラング(ある特定の言語における規則の総体)とパロール(特定の話し手によって発話された具体的音声の連続)との関係は、コードとメッセージの関係に置き換えて理解することも可能であろう。後者が顕在化したものであるのに対して、前者は潜在的構造である。神話や昔話は、語り手自身がその意味をわからずに語っている場合がしばしばあるが、それはその神話や昔話が基盤とするコードを明らかにできていないためである。この場合、神話や昔話は社会的・文化的機能を担っていないのではなく、意識化されていないだけである。したがって、神話や昔話を個別にながめていても、それが社会の中でどのような役割を果たしているのかは理解できない。レヴィ・ストロースが明らかにしようとしたのは、こうした個々の神話の背後にある共同体の論理構造や人間の思考構造であると言ってよいだろう。極言すれば、神話や昔話を媒介にして、それを語る人々を無意識のうちにも規定しているコードを読み解こうというのである。
 こうして、物語や神話・昔話の構造分析的研究と心理学からのアプローチが接点をもつことを説明した。

 

   ユング派の昔話分析
   

 幕心理学者が神話や昔話の分析へ向かう理由ついて、学生には河合隼雄の文章(5)を示して説明した。河合が例としてあげる赤面恐怖症の場合、本人は意識の上では恥ずかしくない、恥ずかしがる必要はないと思っていても赤面してしまう。これは、無意識の心の働きがこの人を赤面させてしまうのである。この場合、心理療法家はこの人の無意識の領域に原因を見いだし、解決していこうとする。心理療法に携わる人々は、患者の夢・妄想や創作物に昔話や神話に類似するものをしばしば見るという。ユングは、世界中の昔話や神話にみられるある典型的なイメージが、患者の夢や妄想の内容にも共通してみられることに気づいた。そこでユングは無意識を個人的無意識と普遍的無意識に分けてとらえ、普遍的無意識の中に民族や個人を超えて共通のイメージを結ばせる一定の型があると仮定し、これを元型と名づけた。この元型がどこまで普遍性をもつのかには問題が残るが、河合隼雄もキリスト教社会における分析をベースにした理論をそのままの形で日本に持ち込むことに対して注意を喚起した上で、「浦島太郎」の分析を行っていることを解説した。

 

   永遠の少年
   

 浦島太郎と母親との関係に注目して、河合隼雄はそこに「永遠の少年」の元型を見いだしている。ユング派のいう「永遠の少年」とは、顕著な母親コンプレックスを抱き、社会への適応に何らかの困難を示す人(若者とは限らない)をさす(6)。元型としての「永遠の少年」はだれの心の中にも存在するが、ある人がその元型と同一化した時に、その人は「永遠の少年」となる。河合は、昔話を中心にさまざまな面から分析を施してしているが、以下ではそれを筆者なりにとらえかえし、先にまとめた伝承の基本骨格に即して取り上げる。また、諸文献によって異なる呼称は「太郎」「乙姫」に統一することとする。
 母なるもの(母親とは限らない)との心理的結び付きがきわめて強い永遠の少年は多少なりともドン・ファン的であり、女性の中に母なる女神を求めて次々と対象を探し出そうとする。河合によれば、これは日本人の心性を考える上できわめて重要な元型であるという。例えば、子どもの時は母親に、結婚してからは妻に、年老いてからは娘に、母なるものを求める日本人男性は確かに多いように思われる。物語の発端において、太郎の境遇を詳しく語るものはないが、独身であるらしく、『風土記』やお伽草子では両親の存在が語られている。河合が取り上げる昔話では、母一人・子一人で、太郎は四十歳であるが、「お母がいる間は」嫁を貰う気はないのである。このような設定は他の文献では見られないが、太郎の男性としての在り方を考える上において、まことに適切なイメージを提供していると河合は言う。
 伝承の多くは太郎がたった一人で海で釣りをしているところから始まる。海は、測り知れぬ広さと深さをもち、そこに無尽蔵のものを宿すという意味において無意識そのものを表し、そこで孤独な状態にある(しかも『風土記』では魚も釣れない)のは、心理学でいう退行を示すイメージとしてとらえられる。退行とは、心的エネルギーが自我から無意識へ流れる現象であり、自我のコントロールできるエネルギーが減少するため、さまざまな退行現象(白昼夢・妄想など)を示す。しかし、退行は病的なものと限らず、創造的な心的過程に必要なものでもある。退行が創造的であるためには、そこに新しい要素が生まれ、自我はそれを統合しようと努めなければならない。太郎にとって新しい要素とは、乙姫であった。
 乙姫との出会いから、異郷訪問・異郷逗留に至るまで、多くの文献において、太郎は一貫して受動的であり、乙姫の意のままに事は運んでいく。中でも象徴的なのは、プロポーズが乙姫からなされることである。このプロポーズに対し、『風土記』では「更に言ふところなし。何ぞ懈らむや」と答え、お伽草子では「ともかくも仰せに従ふべし」と答えるのである。ここで想起されるのは、ユング派のノイマンが英雄神話の分析を通して示した自我確立の過程との対照である(7)。自我を呑みこむ太母的象徴である怪物を退治することによって宝物(女性)を獲得するという在り方とは、およそ対照的である。太郎の場合、自らの意志によって異郷へ赴き、自ら望んで女性を獲得するわけではない。従って、ここでは新しい要素を統合しようという努力はみられないのである。乙姫が、肉体性を否定した聖女的イメージで描かることも、これと関連しよう。
 お伽草子の四方四季(同時に春夏秋冬がある)の描写に端的に示される龍宮という異郷の無時間性は、無意識の無時間性(我々は夢でこれを体験している)と重ね合わせてとらえられる。浦島伝承を自我確立の過程に照らしてみると、太郎は無意識界に分け入って、そこに母親像とは異なる女性像を見いだし、それとの関係を確立しなければならなかったはずである。
 故郷が恋しくなった太郎は、ようやく現実の世界へ戻ってくる。その際、渡された玉手箱は開けてはならないものであった。禁止のモティーフは、洋の東西を問わず、神話・昔話に散見されるが、ノイマン流に言えば、意志的に禁止を破り、破ったことによって起こるさまざまな困難を克服していく強さをもっていなければ、自己をより高い段階に上昇させることはできない。太郎の場合、変わり果てた故郷のありさまに愕然とし、よく考えもせずに玉手箱を開けてしまうのである(意志の持続は永遠の少年の最も苦手とすることである)。結果として太郎は、あっという間に老人となり、乙姫のもとに戻ることもできず、すべてを失ってしまった。常に〃まだ〃の状態にあり、一人前に成りきれない(成ろうとしない)永遠の少年にふさわしい結末とも言える。この結末に関して、お伽草子では太郎を神仏に転生させ、近松は自らの意志で箱を開けることにしているが、それらは今日によく知られている浦島伝承には定着しなかったのである。
 このような太郎を日本人が好んで享受してきたのはなぜか。答えは容易に導けないが、太郎を永遠の少年としてとらえ、浦島伝承を読み解こうとすると、母なるものから分離できずに喘ぐことの多い日本人の心性の問題にぶつかることになる。もっとも、早い段階で母なるものとの分離が行き過ぎると、別の問題が生じてくるという側面もあり、太郎を通してみた日本人の在り方を必ずしも否定的にばかりとらえることはなかろう。こうして、授業は、浦島太郎をとおして〃自己を見つめ直してみては?〃と締めくくった。

 

 

 授業評価をめぐって

   

  この授業は、一つの結論を導いたり、すぐに役に立つ知識の獲得を期待したものではない。筆者は、この授業を契機に、学生各自が物・事を見つめるさまざまな視座を獲得してくれればよいと考える。そして、その成果は後期の後半に課した小論文のテーマ選定や論述において少なからず検証できたと考えている。この小論文は予想を超えて、力作が揃い、中には授業の内容を真正面から受け止めて、昔話の分析から日本文化論へと視野を広げた一万字に及ぶ論文を提出した学生もいた。
 元型を仮定して解釈を試みるユング派のアプローチは、ユング自身も述べるように「曖昧なものを曖昧なものによって説明する」方法である。これは河合隼雄が幾度となく触れていることだが、どこまで科学的学問で有り得るかという問いを常に引きずっている。このような方法による解釈を学生に示して問題提起をしたのは、筆者なりの考えがあってのことである。例えば、現代文の授業において、「Aという解釈もできるし、Bという解釈もできる」などと言うと、学生は「どちらが正しいのか」といらだって即座に尋ねてくることが多い。「どちらが適切な解釈か、あるいは別の解釈はできないか」を考えることが学習の肝要な点であると考える筆者にとって、これは根の深い厄介な問いである。数学の問題をスパッと明快に解くことや、実験で目的に沿った良好な結果が得られることに、一種の快感を覚える学生が多い高専において、「どちらが正しい解釈か」と迫られるのは当然予期されることである。しかし、世の中には合理的に説明のつかないものが数多くある。特に心の領域に関してはそうであろう。加えて、理工系の大学院にまで進んだ優秀な者たちが、曖昧模糊としたものへの明確な答えを見いだそうとしてある集団に属し、そこでいとも簡単に殺人行為に加担してしまう現実を目の前にした時、曖昧なものに無理やり説明を加えて明確にとらえようとするよりも、時には曖昧なものは曖昧なままに残して、その中で物事に対処してゆくことも大切な視点であることを、是非とも学生に伝えたいと思うのである。

   注 
 (1) 三浦佑之『浦島太郎の文学史』(五柳書院、一九八九)等参照。
 (2) 藤掛和美編『お伽草子入門』(和泉書院、一九八一)をテキストに用いた。
 (3) 河合隼雄『昔話と日本人の心』(岩波書店、一九八二)第五章「二つの女性像」。
 (4) ソシュールに関する理解は、主として『ソシュール小事典』(大修館書店 、一九八五)に依り構造分析に関しては小松和彦『説話の宇宙』(人文書院、一九八七)を参照した。
 (5) 河合隼雄『昔話の深層』(福音館書店、一九七七)第一章「昔話と心の構造」。
 (6) 永遠の少年については、注3掲出書の他に、M-L・フォン・フランツ『永遠の少年』 (紀伊国屋書店、一九八二)を参照した。
 (7) エーリッヒ・ノイマン『意識の起源史 上・下』(紀伊国屋書店一九八四・八五)参照。

 

 

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