高専実践事例集
工藤圭章編
高等専門学校教育方法改善プロジェクト
1994/03/24発行

   


  
こんな授業を待っていた

   
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T人文・社会・外国語系の授業がいまおもしろい
  3. 自ら学ぶ学生たち

 

 ●休講を生かす歴史教育(172〜182P)

   西洋文学を読んで       村上旦生   文部省初等中等教育局主任教科書調査官

   『怒りのぶどう』(スタインベック作)
 
   

 91年10月18日、30ページまで読んだ。
 「オクラホマの赤い土地と、灰いろの土地の一部に、最後の雨は静かに訪れて、傷あとだらけの大地を切りくずすこともなかった。」
 アメリカ、南部の片田舎の絶えず土ぼこりがたっているような、赤い土と灰いろの土の土地。第一章はそんな土地で季節が移りゆく情景が、映画のように描かれている。最初の一行は私をつよく惹きつけた。
 とうもろこしは、大自然の下ですくすく育ち、でもやはりその自然によってなぎ倒される。最後のシーンで、男たちが出てきて怒りに満ちた抵抗をあらわにするが、女たちも子供たちも一言二言交わすだけで、みんな大丈夫であると安心する。どんな不幸も耐えられないほどに大きくはないことを知っているからだ。男たちが大丈夫な限り。そして人々はまた仕事へと戻る。
 人々は、自然の偉大さをよく知っていたし、その中でできる限り抵抗をした。アメリカの開拓者精神に触れたような気がした。でも全体的に、うっとおしい暗さを感じるような気がするのは大恐慌時代が背景に描かれているからであろうか。(三年、女子学生)

 私は、「歴史」の授業を休講とせざるを得ないとき、その時間を学生にどう過ごさせるか、色々な試みをしてきた。単に「自習」とすると、学生が教室や廊下で騒ぎ、他教室での講義を妨害することになってしまうからである。テキストのまとめ、作文、歴史に関係する新聞・雑誌の記事をプリントにしてわたし、その感想を求める、時間割の変更、など。これらは、早くから出張等による休講がわかっている場合は、かなり可能な方法である。しかし、急のことで、しかも私が登校することのできぬ場合は全くむずかしい。また、高専の場合、非常勤講師の先生が多く、しかも週五日制であるから、時間割はかなり固定化しており、時間割の変更は、事実上むずかしい。休講が前以ってわかっている場合、急にせざるを得ない場合、そのいずれの場合にも可能な方法はないものであろうか。
 高専卒業生は、産業界から優秀な技術者であるという評価をえている。このことは、卒業生自身もそう思い、誇りにしている。或る卒業生は、技術面では、大学卒に決して劣らない、ただ大学院を出た方には、新しい技術の紹介や開発で、さすがと思うときがある、と語ったことがある。
 しかし、他方高専卒は、大学卒に比べて教養面で劣るのではないか、ということが以前からいわれてきた。そして、高専卒は、本を読んでいないと付け加えられたことがある。私は毎年四月、「歴史」の授業を始める際、教養とは何かについて触れることにしていた。それは、我々が、物質的生活をただ充足するだけの生活から、精神的に意味のある人生を送ることができる工夫を可能にするものであると規定し、その教養を深める手立てとして、読書を通しての思索をすすめてきた。
 高専生は本を読まないだろうか。これを議論することは難しい。若者の活字離れは以前から言われていることであり、高専生だけの問題ではない。「歴史」は、西洋史を中心に授業を行っている。そこで当然のことながら、西洋史の理解を深めるために西洋文学に触れるよう勧めてきた。
 かなりの学生は、文庫本を購入し読書をしている。しかし西洋文学は少ないようである。学生は「翻訳したものは読みにくい」、「登場人物の名前を覚えるのが大変。幾度も前にもどって確認しながら読まねばならぬので面倒くさい」、「西洋文学は中学生の時も読まなかった。図書館のどこにあり、どんな作品があるかわからない」という。そのように話す学生は少なからざる数である。しかし、彼らのそのような態度は、我々も高校生、大学生時代にとっていたものである。ただ単に「西洋文学を読め」というだけでは学生がそれに近付くことはないだろう。読書を通して思索を深め、教養を豊かにもつことを期待するには、何らかの工夫が必要である。
 私は、年四回のテストの際、必ず授業のノートを提出させてきた。一つには、講義の内容が、正しく受けとられているか、二つには、歴史用語のみならず普通名詞も正しく記述されているかを見ている。そして学生に必ず言っていることは、他人の話をメモをとって残すことは、社会にでた際、色々な会議、会合において重要である、歴史の授業をそのための練習と考えて結構である。ノートがきれいにとられているか否かを見るわけではない。従って評価の対象にしないので自分流のノートをつくりなさい、と。ノートの点検は相当の労力と時間が必要である。歴史用語、事実認識の間違いを正し、テスト結果を加味して感想を朱筆で入れる。個性に富んだノートがあり感心させられる。また授業に対する感想を記したものもあり、ノート点検は苦労ばかりとはいえない。私は、この作業の中に、学生が西洋文学へ接近する道をとり入れようとしたのである。彼らの西洋文学に関する感想文をノートの裏表紙の側から書かせることにし、ノート提出時に読ませてもらう。感想文は、休講時に読んだ分量だけについて書いてもらい、その長短は問わないこととした。
 年間を通して休講のなかったクラスでは、感想文を書くことはない。一回だけというところは、読書も中途半端なものに終ってしまう。しかし、読書のために休講するということはできないから、そうなっても仕方がない。但し、休講という機会がなくとも学生が西洋文学に接近できるように簡単なガイダンスをしておいた。
 四月に、「二、三年生、歴史の休講の場合の学習について」というプリントを全員に配布する。プリントには、(一)全員図書館へ行く(二)西洋文学を読む。「歴史」のノートに当日読んだ分のページと感想文を書いておく。後日ノート点検の際点検する。感想文はノートの最終ページの方から書くこと(三)休講の際いつでも読めるように本をきめておくこと(四)当日の欠席者は週番が必ず私に報告すること、と記してある。
 そして、学生には、自分で本を探し、読むようにさせているが、一応の目安をそのプリントにのせておいた。桑原武夫著「文学入門」(岩波新書)には、桑原氏が推薦する五十の名作がのっている。まず、これを掲げる。勿論、魯迅は西洋文学ではないが、こだわらないことにする。
 さらに、私が図書館で調べ、学生向きで、しかも、その本を見つけるのが容易なもの、それを付け加えておいた。例えば、ロランの「ベートゥーヴェンの生涯」、ジイドの「狭き門」「田園交響楽」、シェークスピアの「ハムレット」「ジュリアス・シーザー」などの諸作品。H・ヘッセの「車輪の下」「知と愛」など、プラトンの「ソクラテスの弁明」、そして、シュヴァィツアーやイプセンのもの。ノートを見ると、学生はこのプリントを、裏表紙に糊付けにしている。
 図書館との連絡をとっておく必要がある。図書館の職員にもプリントを差し上げておいた。しかし、学生が自ら、自分の本を探すことも重要な学習であるから、職員の手を煩わさないようにしなければならない。学生は、図書館では、本を探すためにかなり右往左往したようである。二、三年生は、普段から図書館に行き来している割合が高いわけではない。課題をやるために、工学専門書のコーナーに行くことはあっても、西洋文学のコーナーはなじみのうすいところである。彼らが、その感想文の中で、本を探すことで一苦労したと記すのは、理解できることである。
 また、同一の本を数人がめざすこともある。ヘッセの「車輪の下」、シェークスピアの「ハムレット」、ヘミングウェイの「武器よさらば」、ドストエフスキーの「罪と罰」、魯迅の「阿Q正伝」など。文庫で手に入らねば、文学全集にあるのでは、と気づく学生のでること、これも大切なことである。恐らく学生は、終業時間の数分前に、ノートに感想文を書くことになる。それは長短いろいろである。こういうのがある。「シェークスピアの作品が、演劇の科白であるとは知らなかった。今まで、小説だと思っていた」。彼らにとってそれは大事な発見なのである。ゲーテの「若きヴェルテルの悩み」にとりくむ学生も多い。そしてその形式に驚き、読みにくさを指摘しながらも、ヴェルテルの思索に共感する者もある。一時間では、「全く何のことが書かれていたのか、つかめない」と「罪と罰」を読んだ学生は書く。長編作品の場合、一時間で読んだ部分の話がこれからどう展開していくのかわからない。従って感想文を求めるのはおかしいとの批判がありうる。
 冒頭に掲げたのは、はじめの30ページを読んだだけのものである。彼女がもっと読みすすんでいけば感想はまた異なってくるであろう。そういう点では、ポオの短編小説や魯迅のものの中には時間内に読了できるものがある。だから「阿Q正伝」などを読んだ学生の中には深く感動するのがいるのである。しかし、長編小説を読みはじめた学生の感想文には、大いに力ずけられるものがある。彼らの中には、これに挑戦していこうとの姿勢をもつ者がかなりいる。「次の機会に続きを読みたい」「この本を借りて読了するつもりである」「本屋へ行ってこの本を買い、夏休みにじっくり読んでみたい」というようなのが。
 そして、一番多い感想は「西洋文学は初めての経験である」というのである。高専の二、三年生まで西洋文学に殆ど接することなくきているのである。そして、三年生になってくると専門科目が増えてくるから、西洋文学に接する機会はますます少なくなる。このことは、私達の青年時代を振り返っても頷けることである。大学生になると、文学を専攻しない限り、文学作品を読む機会は少なかったように思う。従って、高専生が「西洋文学は、地名・人名がカタカナで、なじめず読みにくい。しかし筋がどう展開するのか興味があるので、最後まで読みつづけたい。」と述べるとき、その挑戦して行く姿勢は立派なものである。
 休講の時間を自習という名の単なる「喧噪」と「居眠り」の時間に終わらせたくない。学生の教育が読書を通じて思索するという形で深まる方法がないか。この二つの前提に対する、一つの工夫を述べてきた。本来なら、休講を利用するのでなく、系統的組織的指導を考えるべきであろう。しかし、高専の教官のおかれている労働量はかなりのものであり、それを考えた上で、やれることを優先させねば長続きしないであろう。大半の学生は、本の初めの部分を読んだだけで終わってしまう。これは残念であり、それでその本を読んだつもりになるとますます困る。しかし、この僅かな読書経験が将来、何らかの形のものに接続することがあるかも知れない。そういう希望もある。
 次に、休講が、二回あったために「車輪の下」を続けた学生の例をあげてみる。それは、あくま
でも途中であり、その時点での感想であることを限界としてもっている。

 

   『車輪の下』(H・ヘッセ作、岩渕達治訳∧旺文社刊∨)(40〜68ページ)
   

  ハンスが神学校に合格した後、七週間の休暇−夏休みが与えられた。それを楽しく過ごそうと思って、最初の何日かは、釣りや散歩、水泳等をして過ごし、よかったのだが、又牧師の一言で勉強づけになってしまった(ところ)が、少し違うなと感じた。自分なら折角の休みはずっと遊んで過ごすだろう。それなのにハンスは、勉強を始めたことによって好きな釣もつまらなくなってしまい、息抜きというものがなくなってしまったのではないだろうか。実際、この章の終わり方で、かなりやせこけたという意味の文があるが、まだ子供で勉強ばかりで運動もせず、それでも楽しいということ自体おかしく思った。普通の子供なら運動をして勉強をおろそかにするというのが多いだろう。ハンスのように勉強で新しい世界を切り開いていった方がいいという考えを持てるだろうか。ここが最大の差である。また、周囲から期待され過ぎたことによって精神が、ハンス自身気づかないうちに、勉強という言葉におかされているのではないだろうか。だとするなら、あまりにもハンスがかわいそうだ。確かにハンスも周りの同級生よりも優れているという優越感もあるだろう。しかし、周りにもてはやされ、神学校という道を選んだが、それは本当に自分の考えた末の意志なのか。それがはっきりせず、ただ合格したから行くというのでは、どうしようもないのではないだろうか。
 自分は高専という学校を、兄の進学の話がでるまで知らなかった。しかし、小学六年のとき知って以来、高専についての資料を集め、目標にし受験した。それで合格したのだが親が反対しても来たのは間違っていなかったと思う。自分と、本の主人公を重ねるのもおかしいが、それだけハンスの歩もうとしている道と歩むべき道が違っているのではないだろうかと思ってしまうのである。(二年、男子学生)

 最後に。読み通した例を一つあげてみる。ノートにびっしり書かれている。

 

 読んだ本、 『宝島』(スティーヴンスン作。阿部知二訳)
 借りて全部読みました。
 宝島という題を見たときに冒険物が好きな僕はすごくおもしろそうな本だと思い、読んだのですが、読んでいるうちについつい読むのをやめられなくなり全部読んでしまいました。読み終わったときの感想は一言で言うと“後味が悪い”といった感じでした。
 なぜなら結果的には、ジム・ホーキンズ少年やリブシー先生たちはフリントの財宝を手に入れたのでよかったのですが、その手に入れるまでの間に、ジム・ホーキンズや郷士のトレローニ氏たちは、仲間同士でお互いに助け合うはずなのに逆に足をひっぱり合っていて、第三者の目から見ているとすごくじれったくて不満が高まり後味が悪いという感想になってしまったと思います。特に、ジム・ホーキンズ少年は、まだ他の乗組員たちに比べて若く、少年なのに、単独で、しかも自分で思い立ったらすぐに行動してしまい、その行動が全て良い方向に転がったのでよかったけれど、逆に悪い方向に転がるかも知れないということを考えないで行動してしまうことは、我々から見てもなまいきなガキとしか思えませんでした。でも、ジム・ホーキンズ少年は海賊の強者たちを相手にすごいことをやってのけたのにはおどろきました。まあ海賊に対する恐怖より好奇心の方が強かったのかも知れませんが、その勇気と精神力には頭が下がります。
 それに対して郷士のトレローニ氏は、立派な紳士のくせに少しの秘密も守れないほどのだらしない人物で、この人が船を購入する時に、宝島へ宝を探しに行くなんて言わなければ、ジョン・シルバーやその他の海賊にも知られずにいて、もしかすると、何事もなく無事に航海が終わっていたかもしれないと思うと、つくづくトレローニ氏が、紳士のくせにだらしない人だということで腹が立ちます。
 しかし、これらのことが何もなくて無事に航海が終了していたなら、この話はただの話であり、冒険物でなくなってしまうのでつまらなくなってしまうと思うのですが、今度はその航海や冒険について書いてみようと思います。まず、「ベンボー提督亭」に現れた一人の海賊ビリ・ホーンズが最も警戒していた一本足の船乗りのジョン・シルバーという人物は、船の食事係として乗組員の一人になっていたけれども、僕は初めて登場してきたときからあやしい人物だと思っていました。でも、そうこうしているうちに、航海はどんどん進み、陸が見える一日前まで進んでしまい、ジョン・シルバーたちが反乱をくわだてているのがジム・ホーキンズにより暴露されてしまったときは、やはりと思いました。僕は、海賊たちは往きの航海の時に、よくがまんできたなあと思いました。そして上陸してからは、船長グループとジョン・シルバー・グループに分かれて戦いがくり広げられたのですが、やはり海賊は慣れているので戦いには有利かなと思ったのですが、計算外だったのはラム酒が強い影響を与えていたことです。海賊たちは、ラム酒によってほとんど自滅してしまったと考えてもよいでしょう。でも僕は、今まで極悪非道な行いをしてきたとは言え、折角宝島まで来て、ラム酒によりどんどん自滅して行く海賊は、少しかわいそうだなあと思いました。それに、ジム・ホーキンズの無謀で、且つ運任せの行動に、まんまとはめられていくので、つくづく天は船長グループに味方していると思いました。とくにベン・ガンが船長グループに入ったことが強いことになったと思いました。そして宝探しをしている時に、フリントの道しるべの謎をといていく時というのは、これこそ宝探しの醍醐味だと思いました。こういうスリルのある冒険というのを味わいたくて、現在でも沈没船の宝をひきあげるという人がたえないのだと思いました。そしてもしこのような宝島の図面が僕の手に入ったとしたら、僕も多分宝を求めてさがしに行くでしょう。そしてその時は、金に目がくらむ腕利きのクルーよりも信頼のおけるクルーを選ぼうと思います。そしてもっと後味の良い話にしてみたいと思いました。(三年、男子学生)

 

 
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