高専実践事例集
工藤圭章編
高等専門学校教育方法改善プロジェクト
1994/03/24発行

   


  
こんな授業を待っていた

   
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T人文・社会・外国語系の授業がいまおもしろい
  2. おもしろ授業戦略

 

 ●国語の現代文と古文・漢文の融合(107〜118P)

   『山月記』と『人虎伝』            吉原英夫  東京工業高等専門学校教授

   高専の国語
 
   

 高専の国語の授業は、一学年三単位、二学年三単位、三学年二単位、四学年一単位、合計九単位1992年3月)は、学生に対するアンケ―トの結果に基づいて、「理数系科目を得意とし、国語を不得意科目として挙げる学生が多く、全般的に国語を軽視し嫌うという傾向を持っている。」と指摘している。
 少ない授業時間という条件の中で、国語にあまり関心を示さない学生を対象として授業を行うということから、高専の国語科教官は、どうすれば学生に興味を持たせながら効果的に授業を行えるかということについて、常に考える必要に迫られている。ここでは、その一つの方法として、融合的な取り扱いということを提示してみたい。

 

 融合的な取り扱い
   

 融合的な取り扱いとは、国語の現代文、古文、漢文という教材を別々に取り扱うのではなく、たとえば、現代の小説とそれが依拠した古典とを同時に取り扱い、それらを読み比べることによって、学習者に興味・関心を持たせながら、作品の内容理解を深めさせようというものである。
 融合的な取り扱いとしては、現代文と古文(たとえば、芥川龍之介「羅生門」と「今昔物語集」)、現代文と漢文(たとえば、谷崎潤一郎「麒麟」と「史記」)、古文と漢文(たとえば、「枕草子」と白居易の詩)という三つの組み合わせが考えられる。
 ここでは、中島敦「山月記」とその出典である「人虎伝」の融合的な取り扱いを紹介してみたい。 

 

 「山月記」と「人虎伝」

 「詩人になりそこなって虎になった哀れな男」李徴を主人公とする「山月記」は、現在、高校の16種類に掲載されており、高校国語の人気教材といえるが、この作品は、唐代の伝奇小説「人虎伝」を素材にしている。そこで、この両者を読み比べ、その違いを明らかにすることによって、中島敦がどのような李徴像を造形しようとしたのかを探ってみたい。具体的には、虎になった理由について、「山月記」の李徴はその告白の中で三つのことをあげているが、それが「人虎伝」ではどうなっているかを読み比べる作業を行う。

 

 「人虎伝」のテキスト

 「人虎伝」は、『太平広記』・『古今説海』・『唐人説薈』に収録されている。
 『太平広記』は、北宋の太宗の勅命で李坊らが漢から五代に至る小説を集めたものであるが、ここに収められているものは、「李徴」という題名がつけられ、出典は『宣室志』と記されている。『宣室志』は、晩唐の張読の作になる伝奇小説集で、これに従うならば、この小説は張読の作ということになる。また、他の二書に収められたものに比べると、話がやや簡潔になっている。たとえば、『太平広記』に収められたものには、「どうして草むらから出て来ないのか」と聞かれた李徴が「吾已に異類と為る。…」と答える箇所、婦人を食べたという記述、「偶因狂疾成殊類」で始まる漢詩、やもめとの逢瀬を邪魔された腹いせにその一家を焼き殺したという記述などが見えない。駒田信二氏は、「『唐人説薈』は『唐代叢書』ともいい、清の陳蓮塘の編集したもので、『山月記』の出典作はその第二十冊に李景亮『人虎伝』として収められている。『太平広記』のものにくらべると作者名がちがうが、文章はほとんど同じで、ちがうところは一篇の詩の挿入されている点である。』(『遠景と近景』勁草書房)と言っているが、でたらめである。 
 『古今説海』は、明の陸楫が編集したもの。この作品の作者名を記さない。『唐人説薈』は、清の陳蓮塘の編。唐代の伝奇小説を集めたもの。『唐代叢書』ともいわれる。ここに収められたものは、「人虎伝」と題され、晩唐の李景亮の作とする。この二書に収められたものは、ほぼ同文である。
 以上の三種の資料のうち、唐代伝奇の資料として信頼がおけるのは、最も古い資料であり、勅撰でもある『太平広記』である。また、『古今説海』・『唐人説薈』所収のものは、同じことの繰り返しが見られ、このことと『酔翁雑録』に「話本」(説話人が話の底本として用いた書物)として「人虎伝」の名があげられていることを考えあわせると、この小説の古い形は『太平広記』に収められているものであり、他の二書に収められているものは、後人が「話本」によって加筆したものではないかと考えられる。
 中島敦が依拠したのは、「山月記」に草むらでの対話や漢詩が見えるところから、『古今説海』か『唐人説薈』である。ただし、具体的にどの本によったのかは、中島の蔵書が散逸してしまっているので、分からない。国訳漢文大成『晋唐小説』(文学部第十二巻)で読んだのではないかとも言われているが、確証はない。

 

 李徴はなぜ虎になったのか
 「山月記」において、李徴は虎になった理由を三つあげているが、それが「人虎伝」ではどのように記されているかをみてみたい。
 「山月記」では、虎になった理由として、第一に、「全くどんな事でも起こり得るのだと思うて、深くおそれた。しかし、なぜこんな事になったのだろう。分からぬ。全く何事も我々には分からぬ。理由も分からずに押し付けられたものをおとなしく受け取って、理由も分からずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。」(引用は『国語@』東京書籍による。以下同じ)と記されている。自分の意志とかかわりなく、自分を超越したものによって与えられた運命を生きていかねばならない、人間存在の非条理への嘆きとおそれ、生への不安が語られているが、この記述は「人虎伝」には見えず、作者の創意によるものである。作者の身辺をつつむ死の影と宿痾の喘息が、この世の定めない生への不安感をもたらしたものとして考えられよう。
 第二に、「なぜこんな運命になったか分からぬと、先刻は言ったが、しかし、考えようによれば、思い当たることが全然ないでもない。…おれは詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、また、おれは俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。…人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」と記されている。「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」のために虎になったというのであるが、尊大であるはずの自尊心と臆病であるはずの羞恥心とが逆説的にとらえられており、この言葉によって、常に自分をもう一人の自分が観察する性癖から逃れられず、優越感と劣等感の間を時計の振り子のように揺れながら、そのどちらへも傾くことができない、自意識過剰の人間の心理を表している。「人虎伝」のこれに対応する箇所には、「若し其の自ら恨む所を反求せば、則ち吾亦之れ有り。…陽の郊外に於いて、かつて一孀婦に私す。其の家窃かに之を知り、常に我を害する心有り。孀婦は是に由りて再び合ふを得ず。吾因りて風に乗じて火を縦ち、一家数人、尽く之を焚き殺して去る。此れを恨みと為すのみ。」とある。すなわち、「人虎伝」では、やもめとの逢瀬を妨げられた腹いせに、その一家全員を焼き殺したという非道の所業の報いで虎になったことになつており、因果応報というとらえかたである。これに対して「山月記」は、「性情」という人間の内奥の問題としてとらえ直している。
 第三に、「本当は、まず、この事のほうを先にお願いすべきだったのだ。おれが人間だったなら。飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業のほうを気にかけているような男だから、こんな獣に身をおとすのだ。」と記されている。「山月記」の李徴は、「詩家としての名を死後百年に遺そうとした」という詩に憑かれた男として設定されており、妻子のことよりも詩の伝録を先に依頼する。そして、そのような非人間性の持ち主であるために虎になったというのである。これに対して「人虎伝」では、李徴は特に詩人たらんとしたわけではなく、「吾人生に於いて、且つ資業無し。子有るも尚ほ稚し。…必ず其の弧弱を念ふを望む。」と妻子のことを依頼し、その後、「我に旧文数十篇有り。…君我が為に伝録せば、誠に文人の口閾に列すること能はざるも、然れども亦子孫に伝ふるを貴ぶなり。」と詩の伝録を依頼している。「山月記」は、これを逆にして、異類に身をおとしてもなお「産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死にきれない。」と詩への思いを捨てきれない、李徴のすさまじいまでの詩に対する執着を強調している。
 以上の検討から、「人虎伝」が「直だ行ひ神祇に負けるを以て、一旦化して異類となる。」という怪異な因果応報の話であるのに対し、「山月記」は、人が虎と化すという虚構の手法によって李徴を極限に追いつめ、その内面の苦悩と矛盾を浮き彫りにしたものであるといえよう。

 

 漢詩の中の「相」について
 ついでながら、「山月記」に見える漢詩の中の「相」の字についてふれておきたい。
 「相」の字は、「四人相視て笑ひ、心に逆らふ莫し。」(『荘子』大宗師)のように、もともとは「お互いに」という意味を表したが、魏晋時代になると、それに加えて、「巨伯曰く、『遠く来たりて相見るに、子は吾をして去らしめんとす。』」(『世説新語』徳行)のように、動作がある対象に及ぶことを示す用法が頻繁に見られるようになる。呂叔湘はその理由を、秦漢以後、「爾・汝」の字を軽々しく用いなくなったことと関係するとしている(『漢語語法論文集』科学出版社)。
 さて、「山月記」に見える李徴の七言律詩であるが、その前半四句を示す。

 偶因狂疾成殊類 偶たま狂疾により殊類と成る
 災患相仍不可逃 災患相仍りて逃るべからず
 今日爪牙誰敢敵 今日爪牙誰か敢へて敵せん
 当時声跡共相高 当時声跡共に相高し

 『李陵・弟子・山月記』(旺文社文庫)は、この第二句を、「災難が内からも外からも重なってこの不幸な運命からどのようにしても逃れることができない。」などと訳しているが、「相」は「内からも外からも」というような意ではなく、動作に対象があることを表している。したがってここは、「このような災難が私の身にふりかかって」と訳すべきであろう。また、第四句を「昔を思えば君もこの僕も、ともに秀才の名を高からしめた。」と訳しているが、第三・四句は対句であり、ともに李徴自身の「今日」と「当時」とを対比してうたっていると考えるのが自然である。したがつて「相高し」の「相」は「君もこの僕も、ともに」という意ではなく、「世の中のだれを相手としても」という意味を表す。「共に」は、「声」と「跡」ということである。この句を訳せば、「あのころは世間の評判も、実際のしごとも、世の中のだれを相手としても高く秀でていた。」ということになろう。
 この文章のテ−マとは直接関係ないが、詩中の「相」の字をきちんと説明したものを見たことがないので、ついでにふれてみた次第である。
 以下には、「山月記」の指導展開例を示しておく。

 学習指導の目標
 1 李徴の告白を中心にして李徴の性格・心情を読み取る。
 2 「人虎伝」と比較して主題を読み取り、作者の問題意識を追求する。

 指導展開例 
 第一時
  導 入
  ○作者について予備知識を持たせる。
     教科書の作者の項を読み、「山月記」発表当時に重点を置いて補足説明する。
    あまり深入りしない。
  展 開
  ○音読できるようにさせる。
    漢文調のこの作品は、特に音読を重視すべきであり、指名して順次音読させる。
    新潮カセットブックを利用するのもよい。
  ○読後感をまとめさせる。
    初発の感想を発表させ、問題点をまとめる。感想文を書かせるのもよい。
  ○難解な語句が多いので、語句の意味を辞書で調べるように指示しておく。

 第二時
  ○難解な語句の意味を確認させる。
  ○文体の特色をつかませる。
    文体の特色を指摘させ、まとめる。漢語の多用、漢文脈の力強さ・簡潔さなどを、
    具体的に指摘させる。
  ○構成を把握させる。
    李徴の発言を手がかりにして、七つの段落に分け、各段落の内容をまとめさせる。

 第三時
  ○第一・二段落を読み取らせる。
    李徴の性格と李徴が虎になった経過をまとめさせる。

 第四時
  ○第三・四段落を読み取らせる。
    次の箇所を中心に、李徴の心情を読み取らせる。
    ・ 「全く、どんな事でも起こり得るのだと思うて、深くおそれた。
       …我々生きもののさだめだ。」
    ・ 「おれの中の人間の心がすっかり消えてしまえば、
       …この上なく恐ろしく感じてい るのだ。」

 第五時
  ○第五・六・七段落を読み取らせる。
    次の箇所を中心に、李徴の心情を読み取らせる。
    ・ 「第一流の作品となるのには、どこか(非常に微妙な点において)
       欠けるところがあるのではないか。」
    ・ 「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」
    ・ 「本当は、まず、この事のほうを…こんな獣に身をおとすのだ。」

 第六時
  ○「人虎伝」と「山月記」を読み比べさせる。
    「人虎伝」は『漢文名作選4文章』(大修館)に、訓点つきの漢文、書き下し文、
    口語訳が収められているので、それを利用する。
    「山月記」で虎になった理由を述べている箇所と対応するところを中心に扱う。

 第七時
  まとめ
  ○主題をとらえさせる。
    この作品はさまざまな主題解釈を可能にする要素を持った作品であり、
    無理に一つにまとめる必要はない。
  ○人間が虎に化すという虚構の意味について考えさせる。
    「人虎伝」との比較が有効である。
  ○中島敦の生涯と文学について理解させる。
    「李陵」などを紹介したい。

 

 
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